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「そんなこと」でも、俺には「大事なこと」なんだ!
 ~がんになってわかった「介護される人」の気持ち~

松崎 匡(まつざき ただし)

現場経験を活かして専門学校で教鞭をとっていた最中に「がん宣告」を受けた松崎さん。
「利用者のため」をモットーに介護にあたってきたつもりが、利用者の立場になってはじめて気付くいろんなこと…。
がんと絶賛同居中(?)の松崎さんのアツい思いをお届けします。

プロフィール松崎 匡(まつざき ただし)

2014年4月より「合同会社M&Yファクトリー」代表社員。
元アルファ医療福祉専門学校教務主任。福祉関連事業所の開業、業務改善などのコンサルティング、研修講師、市民向けの介護講座などのほか、青少年の更生、フリーター、ニートの就職支援などを手掛ける新たな福祉への関わりを中心に活動中!

第10回 介護者のコミュニケーションって? もう一度考えてみて 
~ルーティンワーク中の声かけは、コミュニケーションとは言わない~

 今回は、病院での一日をご紹介したいと思います。

  •  6:00 起床、検温、バイタルチェック
  •  7:30 朝食
  •  9:00 日勤者あいさつ回り、医師の回診
  •  9:30 検査等(対象者)
  •  10:00 処置、その他
  •  12:00 昼食
  •  14:00 バイタルチェック
  •  16:30 夜勤者あいさつ回り
  •  17:00 医師回診
  •  18:00 夕食
  •  20:00 バイタルチェック
  •  21:00 消灯

 微妙な違いはあるでしょうが、入所施設にお勤めの皆さんも、だいたいこんな「一日の流れ」で業務にあたっているのではないでしょうか。
(いくつかの施設のパンフレット等で確認しました)

 この連載では、「自分が介護を受ける状況になって」という視点で、さまざまな出来事を題材に書いてきました。印象に残った出来事をクローズアップしてきたのですが、今回は「特に何もない、出来事のない一日」を思い出してみました。

 なんせ「特に何もない一日」ですから、覚えていることがなくて思い出すことが非常に難しかったのですが、そうこうしているうちに、またまた小さいことかもしれませんが・・・ということに気付いてしまいました。

 何度も急変したりで死にかけている僕ですから、ある意味、何もなく一日を過ごすというのは幸せなことだったりするのです。
 でも、果たしてそれでよいのだろうか? と疑問に思ってしまいました。

 僕はまともな会話を何一つしないまま一日を終えていた・・・

 「特に何もない一日」というのは、介護者側から見れば、(あまり使いたくないのですが)「特変なし」ってやつで、特に心配もなく利用者に過ごしてもらえたという日なのかもしれません。
 でも、利用者側から見ると「何も印象に残らない一日」なんです。

 この印象に残らない一日をがんばって思い出してみると、看護師さんとコミュニケーションを取ったのは「すべて」上記のルーティンワークの流れのなかだけなのでした。

  •  朝  「おはようございます。検温しますね」
  •  日勤者「今日担当の○○です。何かお変わりないですか?」
    「今日は体拭きしますか?シャワーにしますか?」
  •  午後 「お昼はどのくらい食べましたか?」
  •  夕方 「今日夜勤の××です。何かお変わりはないですか?」
  •  夜  「もうすぐ消灯ですので、おやすみなさい」

・・・あれあれ???

 僕は今日一日、この病室でただ質問されたことに答えていただけじゃないか!? これがまともな人間の生活なのだろうか?

 小さなことかもしれませんが・・・
 「一日の流れ」「利用者の一日の流れ」なんてパンフレットに載せているスケジュール・・・それって「業務の流れ」というのが正解になっていませんか?

 ルーティンワークのなかで利用者に話しかける言葉をもう一度振り返ってみてください。指示語、質問(詰問)が多くないですか?

 指示語に対して答えることは、本当の「会話」「コミュニケーション」ではないと僕は改めて感じました。ルーティンワークのなかでは、そのような言葉のやり取りにならざるを得ないのかもしれません。

 だったら、それ以外の時間に「人間らしい」会話ができる場面を作るのが、本当の「プロフェッショナル」なのではないでしょうか?
 「雑談もプロフェッショナルの技術」まで昇華できるものだと僕は思います。

 「特に変わりがない一日」を毎日続けるとどうなるか? 今一度立ち止まって深く考えてみてください。

我が心の師、忌野清志郎さんの眠る地にて