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「そんなこと」でも、俺には「大事なこと」なんだ!
 ~がんになってわかった「介護される人」の気持ち~

松崎 匡(まつざき ただし)

現場経験を活かして専門学校で教鞭をとっていた最中に「がん宣告」を受けた松崎さん。
「利用者のため」をモットーに介護にあたってきたつもりが、利用者の立場になってはじめて気付くいろんなこと…。
がんと絶賛同居中(?)の松崎さんのアツい思いをお届けします。

プロフィール松崎 匡(まつざき ただし)

2014年4月より「合同会社M&Yファクトリー」代表社員。
元アルファ医療福祉専門学校教務主任。福祉関連事業所の開業、業務改善などのコンサルティング、研修講師、市民向けの介護講座などのほか、青少年の更生、フリーター、ニートの就職支援などを手掛ける新たな福祉への関わりを中心に活動中!

第6回 その数センチが重要なのだ・・・

 僕がいつも入院する病院の病棟は、個室以外は6人部屋だ。

 入院するタイミング次第だが、3人ずつ並んでいるベッドの真ん中に当たってしまうと非常に狭く感じ、さらに両側の患者さんに挟まれているため必要以上のプレッシャーを感じたりもする。

 これを書いている今がまさに、この真ん中のベッドであるため、PCのキーボードを打つのにも「大きな音をさせないように」気を遣っている(汗)。それぞれのベッドを分けるのはベッドを囲うカーテンで、音やにおいはほとんど仕切られてはいない。

 今回は、そんな環境の中で生活するって話。

 カーテン1枚でしか仕切られていない環境・・・。

 最初はかなりの違和感があったのですが、なんせこちとら入院のベテラン患者。結構慣れてしまうものです。

 消化器系のがん患者の病棟だからなのか、はたまた治療の後は動けないことも多いためなのか、結構あちこちで「プーッ・・・」と屁をこく音も今じゃ慣れっこどころか、「おいらは治療後で動けないんだからしょうがないべ!」と開き直って、気付いたら屁の合奏に参加している自分がいます。

 与えられた環境に人は順応していくものなんだな~・・・なんて感心するとともにふと考える・・・。

「これって特養に入所されている利用者さんとかなり近い状況なんじゃないか?」

 環境に慣れることって大事だと思うんだけど、慣れることによって大切な何かを置き忘れてしまうことは果たしてよいことなのだろうか?

 平気で他人と同居している環境で、ほかの人もそうだからと、羞恥心だとかマナーだとかいう概念を置き忘れても平気になっている自分がいる。これって自分自身も気を付けていないとすぐに流されることなんだけど、援助する側も「これが個々の環境だから」と環境に慣れることを「強要」してはいけないんじゃないかな?

 そんなわけで小さいことですが、一つ感じてやっていただきたいのが「利用者のプライバシー空間の確保」

 ・・・なんていうとちょいと固いのですが、一言言わせてもらいます。

「たとえカーテン1枚かもしれないけれど、それがとっても大事なんだよ」

 カーテン1枚の仕切りしかないけれど、そのカーテンを「きっちり」閉めてくれる援助者と、「これくらいは誰も気にしない」とでも思うのか、適当に閉めて隙間があっても平気な援助者がいます。

 援助者からすれば「たかが数センチの隙間」かもしれませんが、利用者が自分の力でその隙間を閉められないとき、その数センチの「小さな隙間」が、利用者と援助者の関係に「大きな隙間」をもたらしてしまうことに気付いてくれたらな~と思う今日この頃です。

 今は特養も個室化が進んで、そんなことを考える機会もないのかもしれませんが、小さな隙間が信頼関係に大きく影響する、なんて視点で振り返ってみれば、いくつも似たようなことがあるのではないかと思うんだけど・・・。

 一度考えてみて欲しいな~。

病室放屁オーケストラ  松崎 匡

がん患者のイベントで、人生初メイクで写真を撮ってもらいました《汗》