メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

愚かなる私は思う事多し

意思決定支援とセンスの良い大学生

 唐突ですが、私は揚げ物が大好きです。よく「フライ、唐揚げ、天ぷら。梶川は、揚げ物さえ出しておけばご機嫌だ」と言われるくらいです。ですから、先日TV放映された「最近流行りの串揚げ店の特集」を見逃すはずはありません。

 しかし、視聴してみると、かつて流行っていった串揚げ店とは様子が異なっています。以前なら、お店があらかじめ食材を串に刺して用意してくれたものを揚げるだけでしたが、今では、お客が自由に食材を選んで揚げられるようです。

 お客にとっては選択肢が増え、より自分のニーズに合った串揚げを食べられそうです。ふと私は、「何だか意思決定支援に似ている」と思いました。人の好みに寄り添うのは良いとして、それが客観的にダメ出しされる場合も起こり得るからです。

 食事制限のある糖尿病者に「思う存分揚げ物を召し上がれ」と勧めることになるような場合です。折しも、講義で「ケアにおいては、利用者の利益と不利益を勘案し、利用者の利益が上回るように考えましょう」と話しところ、一人の学生が質問してきました。

 つまり、「本人の意思と客観的な判断が相反する時はどうするのか」というわけです。私は、鋭いところを突くそのセンスの良さに感じ入りながら、「愚行権」や「公共の福祉を害しないかぎり」という但し書きのある「自由権」について説明しました。

愚行権と自己決定

 確かに、他人から見ていくら愚かに見える行為であっても、誰にも迷惑をかけていない限りは、自己決定が尊重されないと困ります。愚行したがることの多い私はなおさらです。そして現に、被虐待者にも、愚行にも似た自己決定により介入を拒む方がいます。

 「自分が我慢さえすれば良いのだから」とか「虐待者が荒ぶるだけだから」などとして、「関わらないで欲しい」というのです。私は、こうした場合に備えて、自分なりの基準を持っています。それは「わが国は積極的安楽死を認めていない国だ」という点です。

 つまり、治療の可能性のない場合ですら積極的安楽死を認めていないのに、支援すれば好転する可能性がある(放置すれば虐待がエスカレートして重大な結果を招きかねない)以上、手は引けないというわけです。

 この基準は、私にとって客観的な判断をできるようにする縁となっていますが、私は、「自由権」の「公共の福祉を害しない限り」という但し書きも頼りにすることがあります。被虐待者が重症を負ったり死亡したりすれば、虐待者は犯罪者になる可能性があります。

 あるいは、共感性の高い人は、こうした事例や事件を知っただけでトラウマを負う場合もありますから、公共の福祉を害するかもしれない、と思うのです。ですから、強い介入拒否に遭っても、あれやこれやと知恵を絞り手を尽くし、支援を模索し続けたいと思います。

「お勧めの大吟醸『愚か者』です」
「おおっ!僕にぴったり!!」