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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

動物の虐待と人間の虐待

嗜虐性にご用心

殺傷事件の犯人には動物虐待の既往を持つ人が一定数おり、動物虐待を将来の犯行の兆候だとみなす向きもあります。最近英国では、DVの加害者と動物虐待の既往には関連性がある、という調査研究が発表されたそうです。

 虐待者は、自己肯定感の極端な低下から、自分より弱い者を支配しないと不安定化する人々だと考えられますから、動物虐待の既往があるとしても頷けます。なるほど虐待行為をすると、動物支配の強い実感を得られそうです。

 もっとも、動物虐待をしない殺傷事件の犯人や虐待者も多くいますし、家族は虐待するのにペットは溺愛するという人も少なくありません。ですから、動物も人間も虐待する人と、虐待するのは人間だけの人がいることになります。

 この違いについて私は、「嗜虐性」が鍵を握るように思います。動物虐待の既往のある殺傷事件の犯人や虐待者の多くには、自己肯定感の低さに加え、虐待することから何らかの快楽を得ているふしがあるからです。

 そして、嗜虐性を獲得する過程については、「快楽の学習」に着目しています。嗜虐性を持つ虐待者はどこかで、相手が動物であれ人間であれ、虐待行為をすると何らかの快楽が得られると学んだのではないか、というわけです。

 彼らは、快楽を得られないような支配には満足しません。相手が屈従してもなお虐待行為を繰り返すなど、何らかの快楽を得るまでエスカレートしていきます。そのため、支配するだけで満足するコントロールフリークより、段違いに危険な存在だと言えます。

変革と伝承

 ところで、虐待行為により得られる快感には、性的なものや「生きていて良かったという実感」などが挙げられます。前者はサディスティックな感覚なので分かり易いのですが、後者は分かりにくく、少し説明が必要かもしれません。

 後者は一般的に、危機一髪の状況を脱して九死に一生を得た場合などに想起します。しかし、忘れてはならないのは、虐待やいじめを受けているときにも、後者を強く求めるという点です。

 そして、救われたい一心から嗜虐的になるという皮肉も生じてきます。典型は、被虐待児や学校でいじめを受け続けたために、動物虐待や自傷行為に走る子どもたちです。彼らにとって、自分より力の弱い存在はもはや、動物と自分自身しかいないからです。

 このストーリーは、被虐待者が虐待者となる言わば「変革」の流れを説明しており、虐待者理解の方法としてご紹介したトラウマインフォームドケアの考え方にも通じるところがあります。

 一方、虐待者がストレートに虐待者を生むストーリーもあり、こちらも要注意です。親が子に「いじめ」などの虐待行為には快感が伴うと教え込み、子はそれを学習して実践していき「この親にしてこの子あり」となるような、言わば「伝承」の流れです。

「このDV夫めッ!」
「人違い!人違い!!」