梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
ただ春の夜の夢のごとし
ひとはなぜ戦争をするのか
新型コロナ関連のニュースに日々まみれ、いい加減辟易としていたところに、芸能界に疎い私でさえ名前を知る内外の芸能人のスキャンダルが次々と報じられて「やれやれ」と思っていたら、痛ましい戦争関連のニュースが加わってしまいました。本当に「誰か何とかして下さい!」と天を仰ぎたい心境です。そのせいでしょうか、戦争をテーマとしたアインシュタインとフロイトの往復書簡のことを思い出しました。
何十年も前の話ですが、国際連盟からの依頼によってアインシュタインは、最も重要だと思うこととして「戦争」を選び、最も意見を交わしたい相手として「フロイト」を選んで、両者の往復書簡による意見交換がなされます。そして、アインシュタインの「国際機関でさえ国と国の紛争を止められないのだから、もはや人の心を変える以外にはない。ではどうすれば人の心を変えられるのか」と問いかけます。
これに対してフロイトは、「人間から攻撃的な性質を取り除くのは難しいが、攻撃性を戦争という形で発揮させなければよい」という見解を示していたように記憶しています。もっとも私は、「ひとは何故虐待をするのか」という問に向き合ってきた経験から、人間の心という切り口より、進化という切り口から考えた方が分かり易い、と思いはじめています。虐待や戦争と、生物の進化では、戦略が真逆なのではないか、というわけです。
おごれる人も久しからず
前者は自分以外を変える方向ですが、後者は、自分を変える方向で進みます。大洪水を生き抜いたとある種類のトカゲを調べると、前足が長く後ろ足が短かったそうです。そのトカゲは、長い前足で木などにしがみつき、短い後ろ足で木から離れて水の抵抗を低減できたため、流されずに済みましたが、そうではないトカゲはみな流されたと考えられるといいます。まさに自分自身の変化が生き残りの鍵になっています。
ですから、虐待も戦争もまさに、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛きものもついにはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ(青空文庫No.60756「現代語訳 平家物語 第1巻 尾崎士郎訳」より)」だと思うのですが、「分かっちゃいるけどやめられない」のが人間ですから、なんとも悩ましいものです。
フロイト的に考えると、人間が持つ「死の欲動」が外の対象に向けられると「破壊欲動」になるが、「死の欲動」は生きようとする「エロス的欲動」と深く結びついているから、なかなか一筋縄ではいかない、といったところでしょうか。何だか、「地球を救いに来た」という宇宙人の言葉にほっと安堵したものの、実はこの宇宙人、地球に一番害をなしている人類を滅ぼして地球を救いに来た、という映画のオチのようにならないように、祈りたくなってきます。
「奢れる人は久しぶり!」
「何か少し違うような…」