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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

君歩み出しを躊躇うことなかれ

 先日、ある救命救急士の方が児童虐待の早期発見チェックシートを救急車に備えつけたというニュースを目にしました。きっかけは、講演会の講師から「虐待が疑われる子どもを家に帰したら、次は心肺停止で救急搬送されてくる可能性もある」と聞き、「自分たちは現場に真っ先に入るのに、児童虐待のことをよく知らない」と思ったことだそうです。

 そして、主体的に学びはじめて成果を同僚たちに伝えたり、地域の虐待防止連絡会に働きかけて消防署を加えて貰ったり、積極的に活動し始めます。早期発見チェックシートもその一つなのですが、最近では、自分のお子さんと同じような年の子を持つ親たちの困りごとにも目が向くようになったといいますから、取り組みとしては長足の進歩です。

人は何故過酷なレースに挑むのか

 本当に頭が下がる思いがしますが、その一方で、私がこれまで参加してきた虐待防止に関する会議体に、これほどの積極性を感じることは少なかったように思えて、少し残念な気もします。そこで、積極的な人と消極的な人では何が違うのか考えていたら、世界には「過酷」という言葉がぴったりのレースがいくつもあることを思い出しました。

 たとえば、マイナス30~40度という極寒の地で、700キロを10数日もかけて踏破するレースなどです。私は、ドキュメンタリー番組などを通して、過酷さのほんの一端を垣間見るだけですが、「人は何故こんな過酷なレースに挑み、前進することに執念を燃やすのだろう」といつも不思議に思ってきました。

 はじめの頃は、「絶対世界一になる!」など大志を抱いているのだろう、と思っていたのですが、ドキュメンタリー番組を通して「妻と約束したから」とか「ゴール地点で子どもたちへのお土産を買いたいから」とか「レースでリフレッシュすると報われることの少ない仕事も続けていけるから」など、大志とは言えない動機も少なくないと知りました。

歩み出しの原動力は意外に小志?

 それにしても、命にかかわるほどの過酷さに挑む動機が小志だとは、一体どういうことなのでしょうか。私は、身近な経験から生じた動機は、内なる衝動のような強さを持つことがあるのではないか、と考えました。配偶者や子どもや親など、身近な経験を分かち合った人々との思い出は、レースの過酷さや孤独に勝るというわけです。

 私自身、困難な状況に陥ったとき、家族や友人・知人など、身近な人々との経験を思い出すことは少なくありません。ですから、虐待防止について、課題があることは認めながらも、それを解消しようとする一歩を踏み出せない人々の背中を押すには、彼ら自身の身近な経験と、虐待防止をリンクさせると良いのかもしれません。

 「自分たちは現場に真っ先に入るのに」と、件の救急救命士の心に火をつけたのは、講師の言葉でした。ならば人々の心に、身近な経験としての「自分は◯◯なのに」に火をつけるような工夫は有効ではないでしょうか。私も今後、研修の際にはこのことを実感できるような演習に工夫をこらしたいと思います。

「君歩みを止めることなかれ!!」
「ただのブラックバイト…」