梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
私たちはみな折り紙細工
芥川龍之介の小説に「手巾」という作品があります。子どもの死亡を知らせに、子の恩師の元を訪れた母親のエピソードを綴ったものです。恩師は母親が晴れ晴れとした微笑を浮かべ悲しい素振りなどまったくみせないことを奇妙に思います。しかし、落とした団扇を拾おうと屈んだときに、膝にのっていた母親の手が目に留まります。握った手巾(ハンカチ)を引きちぎらんばかりに力が込められ、激しく震えていたからです。
まさに表と裏です。虐待の事例にも似たような事例があります。先日参加した事例検証会で紹介された事例もそうでした。息子は子どもの頃から母親に愛されたいと願い続けます。しかし、母親はずっと息子が望むようには愛してくれません。それどころか、「いい歳をして母親からの愛が欲しいなどと甘ったれたことを」と言わんばかりの態度です。
そして後年、母親が要介護状態となり、息子は「やってやっている」という態度が見え見えの介護者になりますが、母親が感謝を示そうとしないと、暴言や暴力を繰り出し、虐待認定されてしまいます。おそらく息子の裏には、母親を攻撃する猛々しい表とは真逆で、「自分を愛して欲しい」という切ない思いがあるのでしょう。だからこそ、「介護をしている息子への感謝の印として息子を愛してくれ」となるのです。
しかし、母親も実は自分の親から愛されなかったのかもしれません。また、子どもを愛せない自分自身に人知れず苦悶していたのかもしれません。事実、そうした事例は数多く報告されていますし、愛されて育たなければ愛し方は分からない、というのも筋は通っています。誰かを断罪しても始まりませんし、なんともやりきれいものです。
私は、この連鎖を断ち切るために、「持続不可能な社会」では「近しい人間関係の健康度を評価し、問題があればワンストップ・サービスで対応する体制の構築」について述べました。また、「SOSの発信力と受信力」では、「発達の過程のなかで起きる危機をうまく乗り越えられずにいる人々を、必要即応に支援展開する社会的な仕組み」について触れました。
もっとも、小説「手巾」の母親や、事例検証会で紹介された息子のように、表と裏が異なるのですから、ここに気づけないと話になりません。つまり、真逆の表裏が一体として成り立っている人がいることへの気づきが大切なわけです。個々の私たちは1枚の紙の表と裏からできている折り紙細工のようなものだ、と考えると良いかもしれません。
折り紙は、紙を折り動植物や生活の道具などを作る日本の伝統的な遊びであり、往々にして子どもの遊びだと思われがちです。しかし、作家の作品ともなれば、超リアルだったり超複雑だったり、感嘆せずにはいられません。「これが1枚の紙でできているとはとても思えない」と。ほら、真逆の表裏が一体なのはリアルで複雑な私たちと同じです。
「裏では飛沫飛ばしまくり!」