梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
ヘンゼルとグレーテル
「メルヘン」と聞くと大抵、おとぎ話や童話を思い浮かべます。そして、魔女や小人、巨人が出てきますし、動物も植物もしゃべりますから、牧歌的で空想的な雰囲気を持っています。ところが童話は本来、勧善懲悪をテーマとする非常に古くからある、れっきとした文学形式の1つです。
ドイツのグリム兄弟がその概念を形作ったとされていますが、初期の「ヘンゼルとグレーテル」の内容をみると、単純に勧善懲悪としては割り切れないものが残ります。当時の社会的な背景を反映するドロドロでえげつない要素がてんこ盛りだからです。題名が「〇〇姫」や「□□王子」ではなく人名であることから、実際に起こった事件をモチーフにしているのではないか、という説もあるくらいです。
一般に童話は、先人の知恵を子どもに教訓として伝える側面を持っています。確かに、ヘンゼルとグレーテルにも思い当たるところは多々あります。人の話に耳を傾ければ自分に降りかかる災いを素早くキャッチできる、泣いてばかりでは何も解決しない、力をあわせて機転を利かせれば困難は乗り越えられる、甘いものには罠があるので要注意、チャンスは逃さず即行動、といったところでしょうか。
しかし、そもそも親が自分たちの子どもを何度も騙して森に捨てようとしたのは、貧困のために食い詰めたからです。また、森にいる魔女は、置き去りにされた子どもを騙し脅し食べようとしますが、そもそもこの時代の魔女は、「魔女狩り」でいわれなき罪を背負わされた「魔女」のことです。
一方、子どもたちにも見方によっては案外えぐいところがあります。親を何度も欺いて急場をしのいでいますし、魔女をだまし討ちで焼き殺し、はては宝石を奪い去ります。こうなると、弱肉強食的でどう受け止めてよいか悩みます。
どうやらヘンゼルとグレーテルは、相当に意味深長であるのかもしれません。まるで、「物事は複雑なのだから、よくよく考えて結論を出しなさい」というのが、最大の教訓であるようにさえ思えます。
実は、虐待の防止についても以前から、「子どものうちから教育する必要がある」という意見があります。「鉄は熱いうちに打て」ではないですが、虐待の問題についてよく考える機会を設けると、子どもの健全育成に役立ち、将来の虐待の未然防止や早期発見につながる、という考え方です。
だとすれば、虐待の事例をモチーフに童話を作ってみると良いかもしれません。社会的背景を色濃く反映していて、勧善懲悪では割り切れない点も共通していますから、やはりどこか「ヘンゼルとグレーテル」風のストーリーになるのでしょうか。
少なくとも、ウイルスを悪として戦う善男善女という、分かりやすい勧善懲悪のストーリーでいけそうな新型コロナ禍とは一線を画し、何を教訓とするか、すぐに思い浮かばない難しさはありそうです。