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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

焼き場に立つ少年

 来日したフランシスコ第266代ローマ教皇は、知れば知るほど魅力的な人物に思えてきます。しかし、虐待防止に取り組む私に「本当にそれで良いのですか?」と問いかけてくるようでもあり、冷や汗をかくような気もします。

 教皇は、アメリカとキューバとの間で仲介役になったことでつとに有名です。そして、法王宮殿ではなく中堅職員の住むアパートに暮らし、移動には高級な専用車ではなく公共の交通機関を使うことでも有名です。ロックアルバムも出すなど親しみやすくもあり、「庶民派」の面目躍如といったところです。

 また、ある年の復活祭では、少年院に足を運び、法王として初めてイスラム教徒の女性の足を洗って世界を驚かせました。そして、生活苦を訴えるデモ隊までをも、サンピエトロ広場に招き入れたこともあり、その信条である「教会は貧しく弱き者と共にあるべきだ」を地で行っているようにもみえます。

 私の専門とする分野とも浅からぬご縁があります。聖職者による児童への性的虐待問題について再発防止と被害者保護に力を注ぎ、同性婚や離婚など家族のあり方についても調査し会議を開くよう動いているからです。

 とくに私は、撮影者から長崎市に寄贈された「焼き場に立つ少年」という写真にまつわるエピソードに心を打たれました。教皇は、この写真に、「戦争がもたらすもの」というメッセージと、「この少年は血がにじむほど唇をかみしめて、やり場のない悲しみをあらわしています」という説明をつけ、教会関係者に配布したといいます。

 写真には、すでに亡くなり首を反り返らせた幼子を背負い、唇をかみしめて真っ直ぐ前を向いて直立不動している日本の少年の姿が写っています。火葬の順番を待っているところだと言われていますが、私は、これまでこの写真を見たことがありませんでした。

 今回初めて、この写真を見た瞬間、言葉にならない感情が湧き上がり、目頭が熱くなり自然に涙がこぼれました。私にとっては衝撃的だったからですが、教皇も、たった1枚なのに強烈なインパクトを放つこの写真から、何らかのメッセージを受け取った筈です。

 私が思うに、それは、少年の「声なき叫び」だったのではないでしょうか。それに対して、私は、ただ涙を流すだけでした。しかし、教皇は、それをしっかり受け止めたうえで、行動を起こしています。私とは大違いです。

 おそらく、こうした行動は、AI(人工知能)にはできない芸当です。あるいは、人間ならではの行動だと言えるかもしれません。ならばせめて私も、当時者の「声なき叫び」に耳を傾けたうえで動いているか、自問自答くらいはしないといけません。

 というのも、声なき叫びを聞かずに虐待の防止に取り組むなら、「必ず救いはある」と信じなくなるからです。誰もが誰かを虐待したいと思うのだとしても、誰もが誰かに虐待されるわけではないのが現実です。ここを見落としては一大事です。

「まだこんな嘘の絵を!」
「本当はイケメンだそうで・・・」