梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
-
日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
お後がhere we go!
ふと思い立って、今年の8月は仕事をセーブしてみました。還暦も過ぎたし、欧米のバカンスとまではいかないまでも、少し長めに夏休みを取るのも一興だろうと思ったからです。おかげで、猛暑にも豪雨にもさほど悩まされず、とても快適にゆっくりと過ごすことができました。
思えば、病気療養の期間を除けば、学生時代を最後に1ヶ月もの長期休暇はありませんでした。そのせいでしょうか、よく学生時代に過ごした夏休みのことを思い出しました。と言っても、我ながら「人間とはかくも怠惰になれるものなのか」と感じるほどに、ただただ遊び呆けていただけなのですが。
時には、9月になって友人から、「梶川、具体でも悪いのか?ずっと授業を欠席しているから心配になった」と、電話がかかってきたこともあります。余りにもだらけきっていたため、授業開始日を2週間も間違えていたからです。
こうなってしまったのは、おそらく、親をはじめ周囲の大人にすっかり甘えていたためだと思います。16歳で働き、家計を支える人も少なからずいるのに、私は、まったく働かないばかりか、家の用事さえ満足に手伝いません。それなのに、衣食住には困らず、お小遣いまで貰って遊びに興じていたのですから。
この時期に、自分の将来についてもっときちんと考えていたなら、私は間違えなく今よりずっと立派な人間になれていたと思います。親から「独立」するという発想が欠落していたと、返す返すも悔やまれます。
別の言い方をすれば「主体性が乏しかった」のではないでしょうか。結果、「自分の頭で考え、自分で判断し、自ら行動し、その結果で評価を受ける」経験を十分積まずに来たのだろうと思います。
これでは、虐待者となるリスク要因として、これまで繰り返し述べてきた「自己肯定感」は高まりません。私自身、虐待者となる危険を抱えてきたのですから、本当に洒落になりません。
おそらく、「成人したら親から独立して自活する」前提で、自分の将来を考えていくくらいが健康的なのかもしれません。「可愛い子には旅をさせろ」と、昔の人は本当に良いことを言ったものです。
第二次世界大戦後、わが国ではイエ制度はなくなりましたが、イエ制度に代わる家族のあり方について議論は深まりませんでした。「虐待者のマスオさん、大いに語る」に書いたように、高度経済成長期となって経済面にばかり目が向いてしまったからです。このため、家族は社会の基礎単位でありながら、そのあり方にお手本はなく、今やただ混沌としているだけのようにみえます。
もっとも、少子高齢社会の問題がいたるところで取り上げられ、「8050問題」も社会問題化している今こそ、イエ制度に代わる家族のあり方について、本腰を入れて考える絶好のタイミングなのではないかと思います。この議論抜きでは何時までたっても「お後がhere we go!」となりませんから。
母親「病んだ社会なのでは…」