メニュー(閉じる)
閉じる

ここから本文です

梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

君死にたまふことなかれ

 3月は自殺対策強化月間でした。わが国では、10年の間に自殺者数こそ漸減していますが、自殺率の国際比較では依然として高い水準にあり、対策を怠れない状況にあります。しかし、虐待問題専門のこのブログで、何故自殺を取り上げるのか疑問を持つ方もおられると思います。

 それは、「他殺と自殺の根っこには同じ心理がある」という説があるからです。他殺や自殺は虐待の最悪のカタチの一つであり、虐待と自殺は、両隣とは言えなくとも、向こう三軒くらいの位置関係ですから、当然と言えば当然です。

 私はとくに、この10年ほど自殺は漸減しているのに、虐待やDVやストーカーなど、人身安全関連事案の件数はみな増えている点が気になります。他殺と自殺の根っこに同じ心理があるなら、矛先が多く他者に向かう仕組みを知りたいと思うからです。

 ところで、以前、虐待のエスカレートについて触れました。まず相手に「攻撃」をしかけ、効果がないと、今度は相手が困るのを承知で「放任」します。さらに、それでも効果がないと、「眼の前からいなくなれ!」と「排除」する、という順番についてです。相手の存在すら認めないのが排除ですから、容易に殺意へとつながります。

 すると、自殺はどのような流れになるでしょうか。

 まずは、相手に攻撃をしかけるのは同じだと思います。ところが、効果がないとき、自ら身を引く点で異なるのではないでしょうか。確かに、受動攻撃を試みるかもしれませんが、結局は、相手と一定の距離を置きます。

 むろん、とてもWell-Beingとは言えませんから、状況が好転しない限り、忍耐の限界を超えるのは時間の問題です。そして、万策尽きてこの世から自分を排除せざるを得なくなります。変な言い方ですが、自分の存在理由を見失い、「あの世で生きる」ように旅立とうとするわけです。

 私は、こうした他殺への道と自殺への道の選択に、「このままではやっていけない」という、いわば「自己肯定感ゼロ」の状態が関係しているのではないかと思います。ですから、支援にあたっては、「やっていけそうだ」と思って貰えるようにすることが第一だと考えます。

 もっとも、傾向は人それぞれで異なっていそうです。

 たとえば、主体性の強い孤独タイプの人は、ゼロの状態にはなりにくいものの、他責性は強く、攻撃や放任に傾きやすい気がします。しかし、ゼロの状態になると、人を頼りにしないため一気に自殺に傾きやすくなります。

 一方、主体性の弱い依存タイプの人は、ゼロの状態になりやすいため、依存先の喪失などに遭うと自殺の危険性は容易に高まります。しかし、人を頼りにしますから、ゼロの状態になると、矛先を他者に向け、攻撃や放任に傾きやすくなります。

 ひょっとしたら、孤独タイプが自分を排除する傾向は弱まり、孤独タイプと依存タイプの他者を排除する傾向が強まっているのかもしれません。何故かしら「人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや」という与謝野晶子さんの一文を思い出します。

「…とて、そだてしや?」
「育てちゃったみたい…」