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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

へそ曲がりで小心者の祈り

 先日、世界的建築家の安藤忠雄氏の「挑戦」という展覧会(に行きました。以前から氏の仕事に対する姿勢に憧れてきたせいもあり、大いに満足しました。このブログの第1回目は「挑戦する心」という題名ですから、勝手に「私の発想は安藤氏に似ている」気になったのかもしれません。しかし、私自身が常日頃心に抱く3つの点に通じるものを感じたのも事実です。

 第1の点は「へそ曲がり」です。ここでいう「へそ曲がり」は、「既存の価値観や枠組みに囚われない」という意味です。私はどこかで、「へそ曲がりでないと、先進的や創造的になれない」と思っているのですが、安藤氏の作品にもそれを感じた、というわけです。そうでなければ、雨の日に部屋を移動するためには傘が必要になる住宅は設計できないと思います。

 第2の点は「小心者」です。へそは曲がっていれば良いというわけではなく、きちんと作業を進めて結果を出さねばなりません。微に入り細を穿つぐらいにことを進めるのに「小心者」は最適です。以前テレビ番組で、コンクリート打ち放ちについて、一切の妥協を許さない安藤氏を恐れる、施工業者の話を聞いたのを思い出します。

 もっとも、一人がへそ曲がりで小心者になるのは簡単でもありません。世間一般とは異なる革新を目指す一方、世間一般と同じような大雑把は許さないという、難しいバランスを取る必要があるからです。安藤氏が、世界的に評価の高いパートナーとのプロジェクトを多く手がけるのは、こうした事情が関係しているのでしょうか。

 私はかつて、スーパーバイザーからのコメントに、「そんなに思い切った(私は『流石に行き過ぎでしょう!』と思うような)ことまでOKなの?」とか、「そんな些細な(私は『どうでも良いのでは?』と思うような)ことまで気にしないとダメなの?」と感じていました。

 きっと、スーパーバイザーは、「小さくまとまっている」私を大胆かつ繊細になるよう導いてくれたのだと思います。私も今では、虐待事例への対応のスーパービジョンにあたるとき、よく「もっと大胆に」とか「もっと繊細に」と感じています。

 たとえば、汎用性があって便利なため、対応をマネジメントサイクルに沿って説明することが多いのですが、マニュアルのように画一的にとらえる人が少なくありません。進化し続ける動的なプロセスであることを強調したいのに、固定した静的なプロセスを思い浮かべてしまうのです。

 前者なら、プロセスは同じですが各段階の内容において、対応者の強みを活かして対応の実効性をあげることが期待できます。しかし、後者はプロセスも各段階の内容もみな同じなのですから、期待はできません。そして、前者をこなせるのは「へそ曲がりで小心者」だけです。

 安藤氏の場合、「へそ曲がりで小心者」という難しいトレードオフを、「自然」との共生に求めていると思うのですが、これが第3のポイントです。つまり、自然こそが「へそ曲がりで小心者」を最も良く体現しているため、建築も自然に沿うのが理に適うというわけです。ですから、もはや「祈り」の境地だと言えるのかもしれません。

「へそ曲がりの小心者シュート!」
「オウンゴールかよ…」