梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
人情噺は問題提起、滑稽噺はその解決?
今巷は、空前の落語ブームだといいます。とくに、真打ちの一つ手前、二つ目の活躍が目覚ましいとか。虐待対応のスーパービジョンに落語の教授法である「口伝」を取り入れるなど、学ぶ点が多いため、落語に注目している私には、興味のわく話題です。
ブームの背景には、若手の二つ目の方々によるSNSによるメッセージ発信があるようです。まず、二つ目の発したメッセージに、彼らと同世代の人々が共感し拡散させます。すると、多くの人が「実際に見に行ってみよう」と触発されて寄席に足を運びます。さらに、寄席に行った人々がSNSでメッセージを発信し、二つ目はそれを見てまたメッセージを発信、という循環が生じているというのです。
これだけでも、自宅の一部を寄席に改造する人さえいる「江戸時代以来」の大ブームを説明できるかもしれません。しかし、私には、他にも理由があるように思えます。
一つは、古典でさえ演目はバラエティー豊かなため、聴く人は我がことのような親近感を味わえる、という点です。古典落語の舞台は、長屋、廓、お店、旅、芝居などであり、主人公は、与太郎、武家・大名、酒呑、居候、若旦那、幇間、粗忽者・強情・ケチンボ、泥棒、夫婦・間男などです。江戸の市井に生きる人々の身近な体験はおよそ網羅されています。
二つは、噺の締め括りに工夫があるため、聴き手の気持ちにひと段落がつく、という点です。滑稽噺、人情噺、怪談噺などがありますが、滑稽噺なら「落ち(オチ)」とか「サゲ」、人情噺や怪談噺なら「…という一席でございます」などです。
私は、この締め括り方には、音楽理論でいう「解決」と同じ効果があるのではないかと考えます。音楽理論の解決は、不協和音(不安定な響き)から協和音(より治まりがよく安定した響き)へと移ることを意味し、人はこうならないと落ち着きません。オチやサゲによって、まさに「お後がよろしいようで」といった感じではないか、というわけです。
こう考えると、落語の演目は、当時の生活圏域での出来事の体系化であるかにみえてきます。今、高齢者福祉の分野では、地域ケア会議によって、生活圏域の課題整理が行われていますが、課題とはつまり、「…という一席でございます」です。
また、流行り言葉のように叫ばれる「我がこと・丸ごと」の地域づくりも、人々の抱えている課題に対し、必ず「救いのあるオチやサゲのつけられる世の中の実現」を意味するように思います。
どのような課題についても、「…という一席でございます」だけでは終われません。しかも、「弱い者同士は助け合わずに優劣をつけたがるから競争は激化する」的な身も蓋もないオチやサゲは願い下げだからです。
したがって、落語は考え方のお手本の一つだと言えるのではないでしょうか。つまり、江戸の昔にも、「地域包括ケアシステム」に相当するものはあって、落語は、そこで見出された問題の一次予防、二次予防、三次予防のあり方を示してきた、とみる視点です。
この意味で、私たちの未来の幸せのヒントは、案外、江戸の昔にこそあるのかもしれません。
「『紀香、L(乗換える)』と同じ?」