梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
地域包括ケアシステム深化の真価
最も身近な存在である親族間の暴行事件は、警察庁によると、2016年は6,148件であり、ここ10年で3.8倍に増えているといいます。近年、DVや虐待の問題が注目され、いわゆる「掘り起こし」が進んでいるのかもしれませんが、殺人事件に占める親族間の殺人は殺人事件の半数以上にのぼると言いますから、「本当は怖い」親族関係だと言えます。
ところで、親族間の暴行は「親族憎悪」によって説明されることがあります。普段から抑圧している自分のマイナス面を相手のなかに見つけるとそこを攻撃したくなる、といった程の意味です。もっとも、似た者同士だからこそ安定した関係を築きやすく同類婚(ホモガミー;似た者同士の結婚)が多くなるという説もあり、近親憎悪だけでは説明不足のように思います。
私は、親族間の暴行について、第1に、外部の目が入りにくく虐待同様に好発の構図が整いやすい、第2に、発達的危機と状況的危機をともに経験するから共倒れして不安定化しやすい、第3に、強者・弱者など、関係が固定化しやすい点に着目しています。
しかし、これらの点は、裏を返せば強みだと言える点も重要だと思います。外部からの目が届きにくいという好発の構図は、外敵から身を守りつつ共生を促すと言えますし、関係の固定化は明確な役割分担だとも言えるからです。
こう考えると、親族関係は、悪い面と良い面を、ともに先鋭化して持ちやすいのかもしれません。文豪トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』にある名文「幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はいずれもとりどりに不幸である」も、「家庭」を「親族」と読むとしっくりくる気がします。
もっとも、トルストイは、不幸になる数多のリスク要因に着目しており、ストーリーに着目するなら、不幸な親族は、案外一様に似通っているようにも思います。
介護、子育て、仕事、経済と、先行きの不安(リスク要因)にがんじがらめになったうえに孤立化して暴行事件発生、といった感じであり、養護者による虐待ならさしずめ、数多ある虐待のリスク要因にがんじがらめになり孤立化して虐待発生、といったところでしょうか。
高齢者に対する支援の分野では、地域包括ケアシステムの深化として、住民の最も身近にある市区町村が、自立支援・悪化防止に向けてPDCAサイクルを回すことに衆目が集まっていますが、こうしたストーリーをふまえないと、深化は真価を発揮しないように思います。
つまり、介護などのサービスがコンビニ化するなか、コンビニまで足を運ぶことが出来ず孤立化している人々にどう手を差し伸べるか、そして、不幸のストーリーではなく幸福のストーリーを歩めるようにする、というわけです。
そうでないなら、マネジメントが脆弱なために4層構造ができ、不適切な言動を繰り返す集団のいる施設のような地域のストーリーを歩む羽目になります。