梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
単純だが複雑、複雑だが単純
私がよく通る道に、ロッククライミングのジムがあって、ボルダリングをしている様子を見ることができます。皆さん、壁に取り付けられた大小さまざま色とりどりのホールド(突起のようなもの)を掴んだり、ホールドに足をかけたりして登っています。
立ち止って眺めていると、「惜しい、もうチョット!」とか「あっちのホールドの方に行った方が良いのでは?」とか考えてしまい、つい見入ってしまいます。
あるとき、ふと、「コース取りは人それぞれだから、皆の辿った軌跡を図に描くと、生物の系統樹みたいになるけれど、案外、実際の生物の進化も、ボルダリングのようなものなのかもしれない」という考えが浮かびました。
ボルダリングでは落下してもやり直せるのに、生物の系統樹からの脱落は「種の絶滅」ですから、重大さは段違いですが、ボルダリングでも、誰もがヤスヤスと登れてしまっては興ざめですから、生物の多様性同様、常に、ホールドに多様な選択肢を用意しておかねばなりません。
確かに、ホールドは、大きや形や色もバラエティー豊富で、壁全体が一幅の絵画のように見えるのですが、頻繁に絵柄が変わっています。
ところで、私たちがつい見入ってしまうものは他にもあります。たとえば、ヒーリングDVDです。魚の群遊あり乗り物から見た風景あり、おびただしい種類が発売されています。「“癒やし”を求める人がかくも多いのか」と些か心配になる反面、再生しても同じような映像がただ流れるだけなのに、何故か心癒されホッとします。
私は、人がつい見入ってしまうものには、単純と複雑という「両極端が同居」しているという特性があるように思います。ボルダリングは人が登っているだけ、生物の進化は適者生存だけ、ヒーリングDVDの映像は、魚の回遊する様や乗り物からの風景が流れるだけ、といたって単純なのですが、視点を変えると、あら不思議、動きや色彩や陰影は、刻一刻と微妙に複雑な変化をしているからです。
私たちはやはり、ギャップ萌えよろしく(「明るい未来の扉を開くのは『ギャップ萌え』」)、両極端の同居に惹かれる生き物なのかもしれません。ですから、対人援助のなかで、両極端の同居を味方にしない手はありません。
にもかかわらず、目まぐるしい状況変化の複雑さに翻弄され、単純な筈の対応手順をなおざりにしたり、反対に、対応の手順に拘り過ぎて、些細なことだけれども重要な変化を見落としたりする失敗は、星の数ほどあります。
そこで、スキルアップの目標を、「単純と複雑の両極端が同居する境地に達してはじめて一人前」に定めるというのは如何でしょうか。
まずは、単純ながら練習を果てしなく繰り返さないと体得できないハードスキルと、複雑ながらも知識さえあれば容易に習得できるソフトスキルを、ともに身につけようと弛まず精進します。
「型より入りて型を破る」の「型より入りて」に他なりませんが、精進を続けていれば必ず、思わず自分の個性が発揮される日はやって来ます。
これこそが、「型を破る」瞬間であり、「おめでとう!これで一人前だね!!」という寸法です。