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梶川義人の虐待相談の現場から

梶川 義人 (かじかわ よしと)

様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。

プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)

日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。

噂話をするその前に

 利用者の様子を自分のブログに書いて訴えられたホームヘルパーとその介護事業者が、東京地裁から損害賠償を命じられたという新聞記事が目にとまりました(2015年10月26日付読売新聞朝刊)。個人情報の漏えいにより利用者のプライバシーを侵害し、名誉も毀損したというのです。

 倫理、教育、罰則など、論点は数多ありますが、最も気になるのは「他人のことを流布させる感覚」です。この手の事例の根っこは、私たちが、他人のことを知りたがり、知ったら今度は人に伝えたい、という強い欲求を持つ一方、流布される側の気持ちには存外無頓着なことにある、と思うからです。

 悪いことに、「人の不幸は蜜の味」で「人の口に戸は立てられぬ」うえに「人の噂も七十五日」というのですから、ネット社会ともなれば、根っこから生えた木々には常に、新鮮な「人の不幸にまつわる噂」が生い茂ります。

 そもそも、対人援助のメジャーな用語である「アセスメント」にしても、それが「対人援助」であるという枠組みがなければ、ただの「のぞき見」に過ぎないとさえ言えます。このブログ「被虐待者の思い」で触れたドラマ「家政婦は見た!」も、主人公である家政婦の「のぞき見趣味」を軸に展開しています。

 だからこそ「対人援助」の枠組みが守られるように、倫理教育や罰則が必要になるのですが、私たちの「根っこ」はそう簡単にコントロールできません。感覚など、ものの見方や考え方は、マニュアル化には馴染みませんし、あれこれ注意事項を設ける方法も「イタチごっこ」になるからです。

 換言すれば、対人援助職は、おりにふれ「人の立場に立ってものを考える」ことを通して、頭のなかに「対人援助の枠組み」を構築していくのですが、「人の価値観は多様なものだ」と実感する経験の乏しさがこれを阻むのだと思います。

 「人の立場に立って…」というと、まずは、「自分がその人の立場だったら」と想像します。しかし、人の価値観は多様ですから、自分の価値観だけを基準にしていたのでは限界がきます。そこで、「人の価値観は多様なものだ」と実感する経験が、限界を超える手助けをしてくれるわけです。

 いずれにせよ、私たちには、対人援助職であるかなしかにかかわらず、「声なき叫び」に耳を傾ける体験なくして、人間関係上の倫理的な枠組みを備えるのは難しいのだと思います。

 虐待者の多くは「悪気はなかった」と言います。しかし、ここにもまた「人の価値観は多様なものだ」と実感する経験の乏しさが見え隠れします。とくに、経験の乏しさは「自覚しにくい」点です。もっとも、そうなると「悪びれるでもなく人権侵害や虐待をしでかす危険性を持つ」のですから、「悪意がある」ほうがまだましだ、とさえ言えます。

 むろん、倫理的だからといって、それは「当たり前」ですから、報酬アップには結びつきません。しかし、倫理にもとる行為の代償はとても大きいものです。ですから、日頃から、人の持つ多様な価値観を、自らに摂り入れるように努めたいものです。

「知っている?あなた方の噂の主、夫は弁護士だよ…」