梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
攻撃は最大の防御なり
研修時の質疑応答で、虐待問題とは少し離れた質問を受けることがあります。その多くは、私の最大の関心事である「対応困難」にまつわるものなので、あれこれ話したくなるのですが、時間がなくて歯痒い思いをします。
たとえば、「要求過多(あるいは我儘)な利用者に対して、どこまで応じれば良いのか」といった質問に、私は、『「どこまで」と後手にまわって守りに入るまえに、丁寧にアセスメントをして、先手を打つ攻めに転じてみましょう」』と、詳しく説明したいのに、それが叶わないからです。
幸い、ブログに時間制限はありませんから、少し書いてみたいと思います。
第一に、要求の多さが、病的なものであるか否か検討します。心気神経症や不安神経症、認知症などに由来するなら、当然、対応方法は、医師の見解を軸に検討します。そして、病的なものでなければ、要求について詳しく検討します。つまり、第二に、真のニーズは何か探るわけです。
人間には恒常性が備わっており、身体に必要なものが不足するとサインが出ます。水分が不足したときの喉の渇きはその一つですが、解決法は幾通りも考えられます。水でもお茶でもジュースでも、何か飲めば喉の渇きは収まるからです。
「喉の渇き」はニーズ、その「解決法」がウォンツというわけですが、要求過多の利用者は、「いろいろな飲み物を飲んでも、喉の渇きが収まらない」のと同様な状態だといえます。
そこで、多くの要求の「背後にある共通性」について、衣・食・住など具象的な面から「生き方」など抽象的な面に至るまで、詳しく検討します。
大抵の場合、個々の要求に振り回されているときには気づかなかった、利用者の内面がみえてきます。たとえば、障害を負ったり入所したりという現実を、利用者が受容するまでの心の変化などです。
因みに、この心の変化は、精神科医のエリザベス・キューブラー=ロス(Elisabeth K übler‐Ross)氏が、著書『死ぬ瞬間』において示した「死の受容プロセス」によく似ていると思います。
最初は、「こんな筈はない」という「否認」の段階。つぎは、「なぜ自分がこんな目に遭うのだ」と「怒り」を周囲に向ける段階。そして、「できることはなんでもするから」とか「もう少し後になったら」など、入所せずに済むよう「取引」する段階から、万策尽き失望する「抑うつ」の段階を経て、最後に「受容」の段階に至る、といった感じです。
むろん、これは全ての人にあてはまるわけではありません。しかし、一見バラバラな要求(ウォンツ)の背景にあって、本人も無自覚、しかも移ろいゆくニーズですが、それが把握できれば、先手を打つような支援を展開できるのではないでしょうか。
もっとも、ニーズもウォンツにも、本人が経験から得た価値体系のようなものが強く作用します。ですから、生活歴を丹念に追体験しようとする努力も必要ですし、「本人の要求がニーズの正しい解決法だとは限らない」というトラップにも要注意です。
諸々、まさにプロの腕の見せどころです。
「破れるよ…」