梶川義人の虐待相談の現場から
様々な要素が絡み合って発生する福祉現場での「虐待」。
長年の経験から得られた梶川さんの現場の言葉をお届けします。
- プロフィール梶川 義人 (かじかわ よしと)
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日本虐待防止研究・研修センター代表、桜美林大学・淑徳大学短期大学部兼任講師。
対応困難事例、家族問題担当ソーシャルワーカーとして約20年間、特別養護老人ホームの業務アドバイザーを約10年間務める。2000年から日本高齢者虐待防止センターの活動に参加し、高齢者虐待に関する研究、実践、教育に取り組む。自治体の高齢者虐待防止に関する委員会委員や対応チームのスーパーバイザーを歴任。著書に、『高齢者虐待防止トレーニングブック-発見・援助から予防まで』(共著、中央法規出版)、『介護サービスの基礎知識』(共著、自由国民社)、『障害者虐待』(共著、中央法規出版)などがある。
代表になっちゃいました(*_*)
ひょんなことから、住民連絡会の代表幹事になってしまいました。代表だなんて、私の柄ではないのですが、虐待問題と関連の深い「地域包括ケアシステム」の鍵、「公助、共助、自助」のリアルに触れられる、と期待もしています。
案の定、第一回目の幹事会から、大きな問題にぶち当たりました。「住民同士のコミュニケーション量の低下」です。
住民連絡会が組織された当時は、全員参加のイベントを行うなど、それなりの活動をし、交流もあったのに、関係は次第に希薄になってきた、というのです。
現在では、顔を知らない者同士が増え、住民アンケートを行っても、回答率は全世帯の4分の1程度にまで下落しています。「秋深き隣は何をする人ぞ」の寂寥感あり、といったところでしょうか。
私が住んでいるのは、70棟ほどの分譲住宅からなる集落のようなところです。規模はさほど大きくはないと思うのですが、それでもコミュニケーション量は低下するというのですから、「地縁」のようなものを築くのは、一筋縄ではいきそうにありません。
もっとも、部分的にみれば、交流が保たれている例は少なくはありません。まとめれば、前後左右に隣接するなど「物理的にごく近い」、スポーツや芸術や園芸など「同じ趣味を持っている」、いわゆる「ママ友である」がキーワードになっています。
これをみると、私には、「共通する何かを持っている」ことがポイントであるように思えます。共通点がないために、コミュニケーションの量が減るというのは自然だからです。ママ友だって、子どもが大きくなるにつれ、疎遠になりがちですし。
ですから、住民同士が共通点を見出しやすくすれば、コミュニケーションを活性化できるかもしれません。そして、皆に役立つとか、皆が楽しめるとか、住民がメリットを得られるようなら、言うことはありません。
ところが、世代も職業もバラバラの住民ですから、共通点を見出すのは、針の穴を狙うようなものだ、とも言えます。
そこで、男女による物事への取り組み方の違いなど、より原初的なことに注目した方が、現実的なのではないでしょうか。
たとえば、男性は、目的を目指して一直線に進む傾向があります。つまり、目的が決まらないと前に進めないが、目的が決まったら、不要なもの排除して一気に突き進むようなところです。
一方、女性は、不要なものを排除するのではなく、あれやこれやと可能性を追求して、それらにみな備えようとする傾向があります。だから、「男性は荷物を持ちたがらず、女性の荷物は多く」なるわけです。
もちろん「男女の特徴を踏まえる」ということを強調したいのではありません。私は、物事への取り組み方には、真逆の方向性があるから、それらをともに満足することが大切なのではないか、と言いたいのです。
目的遂行一辺倒なら、目的に乗り気でない人は離脱しますし、際限なく可能性を追求したのでは、収集がつかなくなるからです。したがって、これらのバランスを上手く取ることが肝要なのだと思います。
バランスの取り方は、「目的遂行と可能性の追求は交互に行う」とか、「アバウトな目的を立て、可能性も程々には追求する」など、さまざまですが、「果報は寝て待て」式に、「有事には動くが、普段は寝ているような連絡会」、という方向もまたありなのではないか、という気もします。
『「ケセラセラ(なるようになるさ)」主義じゃないの?』