ルポ・いのちの糧となる「食事」
食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。
- プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)
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出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。
第27回 要介護者の口腔ケア
地域に広める「介護口腔ケア推進士」(後編)
はじめに
前回より財団法人職業技能振興会が認定する資格「介護口腔ケア推進士」についてご紹介しています。前回、介護の場では口腔衛生のみならず、摂食嚥下機能を改善するケアや義歯や薬の副作用によるトラブル対応なども含めた広い意味での「介護口腔ケア」が必要で、それを普及させる目的でこの資格が誕生したことをお伝えしました。
また、資格をもつ人がそれぞれの職場や家庭で「介護口腔ケア」の意義を周囲に伝え、知識と技術を広める活躍が期待されていることも紹介しました。
今回は、資格試験の前の直前ゼミで講師を務める歯学博士・ケアマネジャーの森元主税先生(東京都北区森元歯科医院院長)に「介護口腔ケア」の重要性についてうかがった内容をまとめます。
「食べる」を診るが最初の1歩
笑顔を引き出す介護口腔ケア
森元主税先生は平成元年に歯科医院を開業して以来、近隣の高齢者などへ訪問診療を続けてきました。「ご近所の人が診療所に来られないなら往診に行くというのは、住宅地にある診療所にとって自然なことと考え、続けてきた」と話します。
いちばん最初に訪問診療をした患者が亡くなった折、義歯をはめてほしいと頼まれて駆けつけた際、家族から「ほんとうにありがとう。先生のおかげで最期まで一緒に食事をとることができて、おばあさんも喜んでいたし、私もうれしかった」と話され、在宅介護を支える歯科の訪問診療の大切さを実感したとのこと。
「食べることを支えるのは家族みんなを幸せにすることだと気づかせてもらったのです。いただいた言葉は歯科医師冥利につき、大きな喜びを感じさせてくれました。そのことがきっかけで、訪問診療を続け、『食べる』を診て、機能を維持・改善する口腔ケアに取り組んできたのです」(森元先生)。
20余年に亘る赤ひげ診療で続けてきたのは、実際に患者の食べる様子を診ること。そして表情・口の状態・発声の状態もよく観察し、その人らしい日常生活を取り戻すサポートです。
「食事中に『むせる』にしても、どんなタイミングで、どんな風にむせるかで、機能障害の状態の違いが分かり、どんな訓練が必要か分かります。脳血管障害による半身麻痺などによって、特徴的な機能障害もありますが、治療の副作用などによる口腔機能悪化は千差万別ですから、一人ひとりの状態をよく診て、工夫した対応が必要です。
また、日常のケアを誰が行なうか。介護職か、ご家族か。その違いも考慮して、無理なく続けられる訓練を提案します。ときには食形態の相談にものるし、場合によっては台所へお邪魔して介護食調理の手ほどきも。僕自身が食べることが大好きだから、腕前はなかなかのものですよ(笑)。
病院に来ることができない人の訪問診療・ケアというのは、周囲の介護職やご家族とのコミュニケーションが大切だし、食環境まで診る必要があります。創意工夫が必要で、苦労もあるけれど、患者さんの食べることを支え、喜びを分かち合えてきたから、往診をやめようと思ったことはありません。
これから介護口腔ケアをしていく人も、この喜びを知ったら『大変でも、これほどやりがいがあることはほかにない』と思うはず。介護口腔ケア推進士が増え、この充実を感じる人が増えてほしいので、試験の直前ゼミでも熱く語っています(笑)」(森元先生)。
とくに「食べる」を重視するのは、肺炎予防、免疫力アップ、低栄養防止、QOL改善、介護負担軽減など多くのことに直結しているからで、そのために唾液分泌と咀嚼、義歯のケアを重視していると話します。
療養・介護中の多くの人は、薬の副作用や口腔機能障害で唾液の分泌量が少なくなっています。しかし、唾液の中に含まれる酵素(サブスタンスP)に摂食嚥下を促すはたらがあるとされ、咀嚼(唾液と食べ物をよく混ぜ合わせる)によって消化促進作用があるので、唾液の分泌を促す口腔マッサージや舌の運動訓練など、具体的な改善策を施します。
「要介護者は咀嚼が不十分で、消化がわるいために下痢や便秘を繰り返すことが多いです。食事の前にも唾液分泌を促す運動をして、義歯をつけ、しっかり咀嚼することで、下痢や便秘の改善、脱水や低栄養の防止につながります。栄養状態がわるくなると病気にかかりやすくなるので、基本が『唾液分泌と咀嚼、義歯のケア』です。
9年に亘り訪問診療を行なっている社会福祉法人浴風会の特別養護老人ホーム第二南陽園の入居者で肺炎と発熱が起きた件数を調べた結果でも、口腔ケアを始めて発生件数が確実に減ったことが分かりましたので、2012年3月の日本有病者歯科医療学会学術大会では詳細をグループ発表し、口腔ケアの重要性を論じました」(森元先生)。
患者や家族が「義歯が合わなくなった」と訴える場合には原因を探り、筋力低下による場合は筋力回復の運動訓練を、半身麻痺などによる場合は義歯の細工などを行なって、咀嚼できるように調整していきます。
「よく痩せてしまったから義歯が合わないと、外したままで食べられるものだけに変えてしまうケース、義歯を放置するケースが見られます。体重・体力を戻したいのに、ごはんをおかゆにすれば栄養価は下がるし、おかずも偏るから、無意識のうちに低栄養になりかねません。
『痩せて義歯が合わない』は誤解です。義歯を受け入れる筋力が低下して合わなくなっている場合が多く、機能回復すればまた使えることが多い。作り直す必要もないし、機能回復しなければ作り直しても合いません。筋力アップの訓練が必要です。
また、僕が診ていて、お年寄りにとっては義歯、メガネ、補聴器は『大事な物』だと感じます。ご家族や周囲とコミュニケーションをとり、社会参加するために、身につけていたい物だと。『食べる』『喋る』『見る』『聞く』のいずれかでもあきらめてしまうと、元気がなくなってしまう場合もある。だから、たとえ少々不自由があっても、安易に奪ってはいけないのです。
不自由でなくなるように機能回復を周りがサポートするのが、すこしでも元気になってもらうコツ。やり方はいろいろあります。僕はこうしたことを訪問診療で出会う介護職やご家族にも詳しく説明し、介護口腔ケアに協力してもらっています。毎日の食べることは周囲全体で情報を共有し、理解し、ケアしなければ支えられません。
また今後、行政などから依頼のある介護職の方へのセミナーなどでも、実践的なアドバイスをできる限りしていきたいと考えています」(森元先生)。
森元先生のお話は、聞けば当たり前のことに思う話で、難しい話ではありません。しかし実際、高齢者に寄り添っていればこそ、机上の話ではなく、普段の暮らしの話をされるのだと感じました。
そして、森元先生が「介護口腔ケアの普及は、今後、地域包括ケアを実現するために不可欠な取り組み」と話されたのは、医療者対患者ではなく、患者を中心とした縁(環)で進めるのが介護口腔ケアで、それは地域包括ケアの根幹と重なるものだからでしょう。
東京都北多摩西部保健医療圏で、摂食嚥下機能支援の先駆的取り組みを行なった中心メンバーである医師の新田國夫先生の、編著書「食べることの意味を問い直す 物語としての摂食・嚥下」の中にあった一文、地域医療の中で「多職種連携システムをつるくのは摂食・嚥下というテーマを通じてこそできる」を思い出し、既に地域医療を進めている人は同じことを語ると思いました。
介護口腔ケアを理解し、介護口腔ケア推進士となって地域医療で活躍する人が増えることを期待します。
資格の詳細については一般社団法人総合健康支援推進協会のウェブサイトをご覧ください。
- 一般社団法人総合健康支援推進協会
http://www.sogo-shien.org
次回は連載前半を振り返ったまとめと展望を掲載予定です。