ルポ・いのちの糧となる「食事」
食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。
- プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)
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出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。
第5回 高齢者介護での食のケア(前編)
石飛幸三先生インタビュー Vol.1
石飛先生は一概に高齢者への積極的治療を否定しているのではありません。
何か、健康上の問題が生じたとき、苦しい症状をとる治療は必要です。しかしなるべく早く日常生活に戻り、保っている機能を極端に低下させないよう配慮することが大切だということです。
そして、老いによる機能低下は抗えるものではなく、いずれ誰もが「生」の延長で「死」を迎えること。老いの過程も、晩年の在り方も、人それぞれ「その人らしい姿」があることから、当人の意思に添って医療や介護が行われるのが望ましく、そのために個々が自立した人間として自分はどうか、家族はどうか、考えておくことの大切さを説いておられます。
「食事に関して言えば、加齢によって若い頃とは同じように食べられなくなることを、皆さん、頭では分かっているでしょう。中高年の頃からそういった実感があるかもしれない。
高齢の方でも、意思を示すことができる人なら、お腹がいっぱいになれば食べるのを止め、食欲がなければ控えるでしょう。
介護をしている人は食が細れば心配になるけれど、食事量や水分摂取量など、数字にこだわることはないのです。なぜ食べられないのか、食べたくないのか、どうしてあげたらラクか、味わえるか、気を配ってあげませんか」。
奇しくも本連載第1回の後、関西の某自治体職員で、高齢者福祉担当の歯科衛生士(知人:20代)から個人的に読後感メールをいただきました。一部を掲載します。
「食べられない、飲み込めないという方を訪問して、舌を動かす練習をしたり、マッサージをしたりして、すこしでも嚥下反射が出やすいようにと取り組んでいましたが、ふと『こんな大変な思いをしてもらってまで口から食べさせる(食べる、ではなく。ほとんどは家族やケアマネの希望です。本人はしんどいからもう食べたくないという状態)必要はあるんかな~』と思ったり、事故が怖かったりして、苦手な分野です」。
これは福祉に従事する若者の率直な意見で、真摯に仕事に取り組めばこその悩みであろうと感じました。石飛先生は、
「施設介護の場でも、同じような悩みをもっている人がいるのではないかと思います。
マニュアルにはどうあれ、目の前の人にとってどうかということ、本来それが肝心です。
食べないのか、食べられないのか、健康状態や活動は変わりないか、食事の形態は合っているか。食べる量より、気を配るポイントは別にあります。何度も穏やかな看取りをさせていただいた経験から言えば、最晩年、徐々に食を減らし、やがて断つことも自然なことのようです。
つまり人それぞれ、ときどきに合わせた加減が必要なこと、状態は刻々変化すること、いずれ食も何も手放して逝く自然の摂理を前提として、その上で要介護者本意の栄養管理をしていく姿勢でないと、本末転倒になり、いずれ介護する人も、される人も苦しむ結果になりかねません」。
例えば、認知機能が低下している高齢者の場合は意思が示せず、嚥下機能も低下していることが多いということですが、「意思が確認できない」「食が進まない」人を前にただ規定量の栄養や水分摂取にこだわり、それを満たすために人工的な栄養補給策を施すのはいかがなものか。
何もないときには理屈で考えていても、いざ自分の家族がそうなり、医師に胃ろう造設の同意を求められたら、「胃ろうはいらない」などと簡単には言えません。
こうした医療上の家族の判断について述べるのはまた機会を改めるとして、そのような難しい選択に至るリスクを減らすためにも、施設や家庭で介護をする上では、高齢者の意思を尊重し、食事を注意深く見守り、体に負担をかけるほど飲ませ、食べさせない用心が大切、ということです。
次回も引き続き「高齢者介護での食のケア(中編)」として、芦花ホームでの食事介助についてご紹介します。
- プロフィール
- ●石飛幸三(いしとびこうぞう) 特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。1935年広島県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業。1970年独フェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院にて血管外科医として勤務。帰国後、1972年東京都済生会中央病院勤務、1993年東京都済生会中央病院副院長を経て、2005年より現職。診療の傍ら講演や執筆などを通じ、老衰末期の看取りの在り方についての啓発に尽力。著書に「『平穏死』のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社)、「『平穏死』という選択」(幻冬舎ルネッサンス新書)、「家族と迎える『平穏死』」(廣済堂出版)。