ルポ・いのちの糧となる「食事」
食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。
- プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)
-
出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。
第4回 病院栄養士が患者さん、家族に寄り添うとは(後編)
大妻女子大学教授・川口美喜子先生インタビュー Vol.3
はじめに
前編では、川口先生が率いた病院栄養士達が患者さんにきめの細かい食の提供を実現するため、「院内のさまざまな職種スタッフと連携し、チーム力で望んだ」こと、何よりも「患者さんと家族の信頼を得ることを大切に考え、時間をかけて努めたこと」をうかがいました。
引き続き、とくに調理場に起こした改革などについてのお話です。
すべては食べてもらうため
患者さん目線の「底上げ」から
患者さんの個々の具体的な要望に対応する一方で、川口先生は病院で提供する食事全体の底上げにも取り組みました。
「マニュアル化されている献立に縛られず、患者さんの希望にきめ細かく対応するには、食材や調味料を見直す必要がありました。調理をする委託業者と取り決めている食材や調味料の扱いについても、臨機応変に相談し、融通できる関係になる必要もありました。これをやらなければ、総じて最も多い希望『たまには気分転換したい』に応えることができません。
そして食事全体の底上げの対象は『何か』ではなく、『すべて』の見直しです。
一つひとつ計画的にというより、慣例になっていることでも、患者さんの治療に貢献できていないことは変える。例えば、手つかずで下げられてくることが多かった牛乳は、パスチャライズ牛乳に変えたことで飲んでくれる人が格段に増えました。もちろん納入業者とは徹底的に値段交渉をして、患者さんにも変える意味と、おいしさを説明して回りました。
安くて新鮮なものがおいしく、喜ばれるから、島根大学生物資源科学部の農場から果物や野菜を、近隣の漁港から魚介を仕入れる計画も打ち出しました。
たくさんの患者さんから『考えてつくってくれとるから、食べんといけんな』などと言われて、そんな風に言われるためにやっているわけではないけれど、手応えを感じ、栄養士、調理師全員が誇りをもつことができたと思います」。
川口先生には「食事は重要な治療の一つ」という信念が貫かれています。病気の治療の過程にある人を見守るとき、誰でも(家族も)、食べることの意義から考え、見直し続けることが必要なのかもしれません。
このほか、調理場も新設しました。
「病院で提供する食事は、2時間以内に召し上がっていただくというきまりがあります。しかし、透析や化学療法の後など、すぐに食事をとることができない患者さんは多く、3食の間隔が短い中で食事時間がずれると、次の食事が負担になるケースが少なくありません。
この問題を解決するには、患者さんが『食べたいとき』に食事をつくり、出せる体制をつくらなくてはならず、栄養士が使える小さな調理場を新たに作りました。
また、退院後に家庭でも『回復と再発予防のための食事』を続けてもらうため、料理教室を開く調理室もつくりました。患者さんと家族に限らず、地域の方に参加してもらって、健康づくりに役立ててもらいたいと考えたからです」。
こうした改革をすべての医療機関で行うことは難しいかもしれませんが、食事に限らず患者さんのQOL改善の取り組みはどこでも工夫されていると思うので、患者さんに寄り添う発想と行動力、そして成果は、他の医療・介護スタッフの方にも参考や励みになるのではないかと思い、ご紹介しました。
とはいえ、川口先生がさまざまな取り組みを始めた当初は、「変革を急ぎすぎ」と院内の他の職種からクレームを受けたこともあったそうです。しかし、
「話し合えば『目の前の、待ったなしの患者さんを救いたい』という同じ気持ちが通じ、連携は叶いました」。
一方、数年を経た頃、川口先生の取り組みは栄養士界でも話題になりましたが、一部の病院栄養士から反論も起きました。
病院栄養士はかつて献立づくりや調理に追われ、医療現場・患者さんから遠く、「長靴を履いたウサギさん」と揶揄されていた時代があったそうです。
近年ようやく栄養管理が治療の一環として重要であると認識が高まり、「病棟に上がって医療者の一員となったというのに、個別対応、献立、調理に時間をとられては『逆戻り』ではないか。広義の栄養アセスメントと栄養指導に徹するべきではないか。国立大学附属病院の栄養管理室がそれでいいのか」と。
しかし川口先生は方針を変えず、患者さんへきめ細かい対応を続けます。そして、その取り組みは医師や看護師、食品メーカー等から注目され、望まれてさまざまな学会のワークショップで講演する機会が増え、徐々に病院栄養士の理解も深まっていきました。
その後も、同じような取り組みは、一人ひとりの患者さんを大切に思い、やる気を出せば誰にでもできることを知ってもらいたくて「方々へ話しに行った」という川口先生。
「患者さんに寄り添う医師や看護師、食品メーカーは『自分たちができないことを栄養士にしてほしい』という気持ちが強いようでした。
自分の患者さんが急変したら、医師や看護師はできる限りのケアをします。メーカーも患者さんの食を支える気概をもって商品開発している。病院栄養士にも、同じように患者さんに寄り添ってほしいと思っているのです。
私は、ワークショップでさまざまな立場の人と出会い、話す中で、病院栄養士も同じ医療者として治療に携わるなら、栄養アセスメントを超えて患者さんに寄り添いたいと、改めて思いました」。
川口先生のインタビュー続編は、しばらくして後に再掲載予定です。次回は、本サイトの人気連載「特養で死ぬこと・看取ること」執筆者でもある医師の石飛幸三先生に、「高齢者介護での食のケア(前編)」としてインタビューします。
-
家族もサポートできる 食事改善のワンポイント
- 懐かしいものはおいしい
- 食事をとることを「苦痛」に感じていたり、食事について話すことを嫌がる患者さんの希望を聞き取りたいとき、川口先生達は間接的な話から「思い出の味」「おふくろの味」「好物」「テレビを見ていて食べたいと思ったもの」などを聞き出し、レシピづくりの参考にするそうです。
- 食が進まないときも、思いがある料理には食指が動くことも多いとか。がん患者さんに限らず、食に悩みがある人をサポートするアイデアが、川口先生の著書「がん専任栄養士が患者さんの声を聞いてつくった73の食事レシピ」には満載されていますので、もっと詳しく知りたい方はぜひ参考にしてください!
- プロフィール
- ●川口美喜子(かわぐちみきこ) 大妻女子大学家政学部教授、管理栄養士、医学博士。専門は病態栄養学、がん病態栄養並びにスポーツ栄養。1996~2004年島根大学医学部附属病院第一内科文部教官(助手)並びに島根県立看護短期大学非常勤講師、2004年4月島根大学医学部附属病院栄養管理室長、2005年5月島根大学医学部附属病院NST(栄養サポートチーム)の構築と稼働、2007年4月特殊診療施設臨床栄養部副部長、2013年4月より現職。