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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第139回 介護食の開発者が語る
食支援創造の歴史

はじめに

 今では一般的に使われている「介護食」という言葉の生みの親をご存知でしょうか。それは、社会福祉法人小田原福祉会の会長であり、高齢者総合福祉施設潤生園の園長でもある時田 純先生です。
 時田先生は1983(昭和58)年から、嚥下障害がある入所者が安全に食べ、栄養を補給し、食べる楽しみを取り戻せるよう、食形態などを工夫する「介護食」の研究開発を行った食支援の先駆者です(*)。はじめ「救命食」と名付け、後に「介護食」という名称に変更したとのこと。記録は農林水産省の資料でも明らかです。
 その時田先生が、食支援も含めた「潤生園の介護」の40年の歴史を1冊の本にまとめ、出版されたのでご紹介します。


創造の歴史の中に
介護サービス誕生秘話多数

 物事には何でも「始まりがあり、始まりの物語がある」。そんなことは当たり前だと思われるかもしれませんが、介護の仕事に携わっておられる皆さんは、自分が担当している介護サービスの「始まりの物語」をご存知でしょうか。
 それは担当省庁の担当者が設計して、仕組みをつくったのだろうと思っておられるかもしれませんが、その前に、実は「始まりの物語」があり、先駆例が手本となって仕組みができていることはたくさんあるのです。
 時田 純先生が上梓された「生老病死と介護を語る」(日本医療企画刊)を読むと、介護保険制度ができるずっと前、1980年代から特別養護老人ホーム潤生園(当時)にて、さまざまなサービスが「創造」されたことがわかります。
 現在のデイサービスやショートステイ、配食サービスなどの原型ともいえるサービスを、制度がない時代につくり、奉仕で試行錯誤を重ね、市民を支えてきたほか、食支援、看取りケアといった今、大変注目されているケアの実践も早くから行って、歴史を積み上げてきた経緯が語られているのです。

 時田先生は「本来介護や福祉サービスは、困っている人がいれば『制度があればやる』『制度がなければやらない』という冷めた対応では存在価値がない」と記しています。
 また、制度上の問題や矛盾と向き合い、サービスを利用する人のために各方面と折衝を続け、闘ってきた一端もつまびらかにし、これからの「介護」のために、問題や、その解決策を示唆しています。

 さらに介護に携わる人に対して「介護の仕事は、人間理解を深めて自分自身を豊かにし、人格を培う素晴らしい仕事である」として、その誇りを大切にすることを呼びかけ、さらに自分自身を磨くために、生涯に亘り教養を高めることを奨励しています。
 教養を高めるために、何をすればよいのか。筆者はまず、時田先生のこの著書をしっかり読み、その介護哲学を学ぶことではないかと思いました。
 40年という創造と実践の積み重ねから紡ぎ出されたものに学べることは、ラッキーでしょう。真摯に学びさえすれば、同じ時間をかけ、苦労をせずに真髄を知り、未来を測れるのですから!

  • * 「介護食」の研究は、関東学院女子短期大学家政科の手嶋登志子教授(故人)と共に行われました。手嶋教授は日本栄養改善学会において9年に亘り「嚥下障害と介護食に関する研究」を発表。1991(平成3)年、手嶋教授と時田先生両名が、日本栄養改善学会賞を授与されています。