ルポ・いのちの糧となる「食事」
食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。
- プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)
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出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。
第121回 書籍紹介「摂食嚥下障害の倫理」
はじめに
「食べる」という営みについて、一般の、多くの人は「できる」「できない」とは考えにくく、自身や家族が「食べられない」となって初めてその問題について考えます。そして「食べられない」となったときは、同時に、患者は自立が難しい状態であることも多いため、家族が問題に向き合うことがより困難な場合もあります。
昨今、高齢者の死因として誤嚥性肺炎が多いことが知られるようになり、嚥下機能の衰えや機能回復に注目が集まっているとはいえ、摂食嚥下障害やそのケアについて正しく理解されたとは言い難い状況です。
そのような背景がある中、食べることを支えるケアを必要とする人が増えるのは確実で、医療や介護の専門職の方は食支援に携わる機会が増えます。そこで、ケアの技術と共に学び、考える必要性が高まっているのが、食支援における倫理ではないでしょうか。
箕岡真⼦、藤島⼀郎、稲葉⼀⼈ 共著
株式会社ワールドプランニング刊
問いを持ち続けるために
支援者必携の1冊
食支援に限らず、すべての医療・介護行為において、本人の尊厳を重んじてケアを行ううえで倫理的なジレンマが生じる可能性があるのかもしれません。医療や介護の専門職の判断と、患者の希望、家族<キーパーソン>の考え、その他家族の考えなどが一致するとは限らないからです。
私は患者家族として、また患者の友人や、親戚の一人として、関係者のケア方針に対する不一致を度々経験したことがあり、誰の主張もそれぞれの倫理観に因っていて、一概に善悪を判断しづらく、皆が悩む間に状態が変化していくことを知りました。
その他の治療についてより、「食べること」を支えるケアについては、人それぞれの食生活の歴史から思いが強かったり、分かりやすい問題として家族の関心が高かったりするように思います。
食支援に携わる医療や介護の専門職の方は、自身の倫理的価値観の対立と、患者とその周辺の人々の倫理的価値観の対立を日々経験しておられるでしょうか。
専門職の方も生活者であり、「食べることは生きること」として、口から食べることの喜びが分かるからこそ、経口摂取に問題が生じた患者に対するケアの選択や説明、施術、検証においては悩みが深いものかと思います。
個々のケースで、患者の状態や状況が異なるため、過去の成功事例における倫理観が役立つことはあまりないと思いますが、そうであればなおのこと倫理的に考え、行動し続けるために、拠り所となるものは必要ではないでしょうか。
そのように思い、かつ私自身も食支援の倫理について学びたいと考えていた際に見つけたのが本書です。
書籍「摂食嚥下障害の倫理」(箕岡真子、藤島一郎、稲葉一人:共著、株式会社ワールドプランニング刊)は、食支援における倫理を考えるうえで必要なさまざまな問いを見出せる書です。医療倫理の第一人者である箕岡先生が、どのような視点で事態を考えてみるべきか、藤島先生が提出している事例を題材に、具体的なヒントをサジェストしています。法的視点が必要なケースについては、稲葉先生が解説を寄せています。
患者が高齢者であるとか、認知症の症状があるとか、事由によって特定して、思考・ケアをパターン化させないためには、さまざまな視点をもつ必要があるのではないかと思います。いつも原点に立ち返る一助となる本書を携え、倫理的問いをもち続けながら、健やかなケアを続けられることを願い、ご紹介しました。
次回は、1月の更新となります。