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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第117回 家族の食支援 
介護の振り返りと気づきから(前)

はじめに

 この連載を始めるとき、私は「個人的な看取りの体験から食支援に関心をもった」と書きました。
 たて続けに身近な、大切な人たちを見送り、みな「食べたくても、食べられない」期間を経て10~30㎏も痩せて亡くなったため、「なぜこんな時代に、飢餓の人のように痩せて死んでしまうのだろうか」と疑問をもったわけですが、同時に、食べられないで困っている人の側でただ痩せ細るのを見ていただけで、何もできなかった自分が情けなくて、贖罪の気持ちも強くありました。
 食べることだったら、何か助けてあげられたかもしれないのに、無知だったからできなかったのではないか。そう思っていたから、取材して「知りたい」と考えたのです。
 しかし食支援を取材して3年を経て、“食べることだったら、何か助けてあげられたかもしれない”というのは間違っていた。食に関して支援できなかったことを悔やむ、というのもすこし違う。そう気がつきました。
 そして、改めて別に残念に思うこともあります。そこで家族や友人としてどのような食支援をすべきだったか、反省とともに私見を述べます。
 家族や友人の食支援としては、ポイントになる「2つのタイミング」と、それぞれに為すべきことがあると考えているので、前後編の2回でご紹介します。

第1のタイミング
「食べられない」「痩せてきた」と気づいたとき

 食欲がない。口内炎があってしみる。味がしない。唾液が出ない。むせる。逆流して鼻から出てしまう。胸焼けする。下痢と便秘を繰り返す。食事をすると疲れる。
 介護した1人が「食べられない」と訴えた理由の代表的なものは上記の通りで、時期によって変化しました。
 病気(がん)が分かってから亡くなるまで14カ月のうち、約半年を入院で、それ以外を自宅から通院で治療しました。
 食べることが好きな人で、食べられるものを探し、できる限り口から食べていました。それでも元気な頃のようには食べられないので、経口または胃ろうを使って、処方されていた高栄養ドリンクを毎食1本飲み続けました。
 病人は高栄養ドリンクのことを“栄養”と呼んで、ある時期までは胸焼けがつらくても「“栄養”を飲まなきゃ!」と強い意思をもっていたので、痩せること、体力が低下するリスクを強く感じていたのだと思います。
 主治医や病棟の看護師、病室に回ってきた管理栄養士や薬剤師、通院で抗がん剤治療を受ける部屋の看護師などそれぞれに1、2度、「食べられない」「また●㎏体重が減った」などと伝えました。
 しかし、なぜ食べられないのか、どう食べられないかなど、問われることはなく、「高栄養ドリンクを毎食1本」「食べられるときは(食べられるようになったら)、食べればいい」以上のアドバイスはありませんでした。
 そのため、そういうものなのだと思いました。つまり、痩せてしまうのは病気のためやむを得ないことで、医療は最善をつくしていて、治療が進めばまた食べられるようになり、いのちを養う最低限の栄養はとれているのだ、と誤解したわけです。
 体重低下が10㎏、15㎏と進む頃には、発熱や悪寒、倦怠感、脱毛、手術の傷の炎症、ひどい下痢、呼吸困難などさまざまな問題が起こり、「食べられない」「痩せた」以外のつらい症状に気をとられて、そのまま「食べられない」「体重低下」は止まらず亡くなりました。最終的には14カ月で30㎏の体重減少でした。
 いま、食支援について取材をしてきた結果、「食べられない」原因は冒頭に述べた以外にも、年齢や病気、症状、障害、時期などによって多様なことが分かりました。
 原因が多様ゆえ、それぞれに対するケアも多様です。ときには「食べることが負担になる」ケースを見極める必要もあり、ときには患者の「食べたくない」を尊重し、支えなくてはならない。プロフェッショナルな視点で原因と状態をしっかり診て、適切なケアを施す必要があることなので、家族にどうこうできる問題ではありません。
 そのため私は“食べることだったら、何か助けてあげられたかもしれないのに、できなかった”と悔やむのは間違いだったと気づいたのです。
 家族として悔やむとすれば、病人が「食べられない」と訴えていたとき、私自身が「痩せてきた」と気づいたとき、プロフェッショナルなケアができる専門職を探し出せなかったことです。
 残念ながら病人が受けた医療に食支援はありませんでした。すべての医療者が食支援の必要性を理解しているわけではなく、ケアができるわけでもないのです。
 食べることに問題が起きたら、なるべく早い段階で食支援ができる専門職を探すことが家族の、最大の食支援ではないかと思います。
 まずは身近な医療者に相談すればよいでしょう。しかし、知らないことや、できないことを「知らない」「できない」と素直に返してくれる人ばかりではないですから、原因を探り、具体的な手を打ってくれない場合は、動いてくれる人がみつかるまで探しましょう。
 家族はつい状態がよくなると思いたく、治ることを願い、現実を見誤りがちです。
 なぜ食べられないのか、どう食べられないかなど、細かく尋ねてくれない医療者だったら、その人が言うことを鵜呑みにして、今はしょうがないなどと誤解してはいけないと思います。