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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第80回 これからの在宅医療と摂食支援の未来予想(後編)

はじめに

 連載第78回より鈴木内科医院(東京、大田区大森)院長の鈴木央先生に、在宅医療が広がっていく中で「食べることを支える取り組み」の必要性、課題、展望についてうかがったお話を紹介しています。
 在宅療養で「食べることを支える」ニーズは9割を超え、その実現には多職種連携、市民との交流、市民への啓発が大切と、さまざまな立場の方の参考になる貴重なお話がうかがえたので、摂食支援の周辺について語られたことも含め全3回でご紹介することとし、今回が最終回です。

市民と共に互助を養う
隣人として生活を支える

 前回ご紹介した鈴木先生の言葉に、「市民にも『私たちも、何かできることはないか?』という方は増えてきている」というものがありました。鈴木先生は各地での講演等の機会に、3~5年前から市民が変わりつつあると感じ、昨今、その感が強まったと話します。

「地域事情と課題を述べて『何かしたい』という方が増えてきました。例えば『リハビリテーションの勉強をして、市民活動で教えてもよいものか』などと具体的に問われることもあります。
 自助、互助を強めなければいけないという一般の認識の変化は、社会がよく変わっていくために不可欠で、希望があることだと感じています」(鈴木先生)

 確かに、筆者の暮らす地域でも独り住まいの認知症の高齢者が路上で迷い、保護されるなどが相次ぎ、隣近所の見守りは? 有事の連絡先は誰が知っている? など、日常的に議論するようになってきました。町で健康づくりや寝たきり予防に取り組みたいという意欲も出てきました。そして、そうなると市民としては医療・福祉の専門職に必要な情報を求め、地域の中で顔見知りの実践者を頼りにします。
 鈴木先生も地域主催の市民祭り等イベントで健康相談など交流の機会を多数もたれています。

「診療所で話を聞くのとはちょっと雰囲気が違って、和やかに話ができる、貴重な機会です。
 外来で接するときは次の患者さんが待っていて、あまり余裕がない医者の顔ですが、イベントではフラットな関係で、隣人としてアドバイスができます(笑)。
 今後、こうした機会はもっと増やしたい。ときには楽しいおしゃべりで、診察室では見られない患者さんの意外な一面を見ることもあります。
 確かに、時間をつくるには工夫が必要ですが、町医者が診療所から出て、市民とつながることは医療に対する理解度、満足度を上げると感じています。
 単独で続けるのは大変かもしれないが、医師会や多職種の仲間と協力して、市民とも助け合う。地域包括という仕組みが降りてきたから関係をつくるのではなく、皆の暮らしに必要なものとして、日頃から互助を養っておきたい。多くの人が、皆が助け合う社会はわるい社会ではないと思っていて協力的です」(鈴木先生)

「楽しいおしゃべり」の中で聞いたものがたりは、在宅ケアに活かされることもあるでしょうか。鈴木先生は日頃からの多職種と市民の交流と対話の重要性を強調しました。

「地域の医療・介護の専門職と市民のつながりが深くなり、在宅療養や在宅での看取りを選択し、満足を得たケースが増えると、その信頼関係は世代を超えて引き継がれるでしょう。
 家族の歴史上、大変困難なときを専門職と患者と家族が協力して乗り切った経験によって、絆は一段と深まります。家族のものがたりや歴史の側に、寄り添う町医者であり続けたいですね」(鈴木先生)

 そして地域の互助が医療・介護の専門性とつながっていることは、災害時への備えにもなる、とも。

「僕自身も生活者の1人として思うことは、超高齢社会は地域の互助を取り戻す機会になり得るということです。働き方や暮らし方を見直すことが、介護や老後の備えになると、気づき始めている人も増えてきたのではないでしょうか。
 例えば、息子さんが1人で認知症のお母さんの介護をしているケースなどで多く見られることですが、それまで地域生活と関わってきたのがお母さんだけだったりすると、家事も、地域の人間関係も分からず、生活が混乱してしまいます。仕事と同様に、イメージした通りやろうとしてもできなければ、ストレスが強く、心の病や虐待などの問題に発展する危険性もあります。
 日頃から地域の人と知り合っていれば、大抵の場合は誰かが助けてくれます。
 近所の人と挨拶を交わし合い、互いに助け合える関係をつくっておく。何かの役に立つからというより、今、安心して生活するためにすることが、未来の介護や老い、亡くなり方にも関係します。
 生活者としての自分を忘れないで、すこやかに暮らしてほしい。
 問題が起こる前に『働き方や暮らし方を見直す必要もあるのでは』とアドバイスするのは、医療とは直接関係ないけれど、地域の在宅医療に関わっていく町医者として、隣人として伝えたいことです」(鈴木先生)

 なお、摂食支援について、在宅医療を行う中で主治医が摂食支援につなげようとしても患者や家族が介護力不足や経済的な理由で受け容れないケースもあるということでした。
 そうした場合、鈴木先生は摂食支援の必要性やメリットについて継続的に情報提供し、在宅で受ける支援に関する意思決定は状況に応じて変化することを念頭に、可能なケアを続け、患者と家族に寄り添うとのこと。

「ケアを行う専門職であっても、家庭に他者が出入りする場合、家族には手間がかかり、お金もかかる。それぞれの家庭の事情とありのままの思いを受け止め、負担が大きい介護者もケアを要する人として支えていく必要があります」(鈴木先生)

 家族にも歴史やものがたりを尊重したナラティブ・ベイスド・メディシン[]が必要だと話しました。
 一方、終末期に「食べられない家族に、何か食べさせたい。何なら大丈夫か?」と問われた場合は、「好きなものがいいよ」と答えるとのこと。

「何かしてあげたい気持ちが強いご家族が、僕らに聞かずにトライすることも多いようだけれど、それは患者さんとご家族の癒しにつながる行為で、医療者が目くじらをたてることではないでしょう。多くの場合、ほんの1口召しあがれるかどうか。最期まで『生活者』として生活支援をすることが在宅医療に携わる僕らの役目なので、何かあったら緊急往診や訪問看護があると安心し、納得のいく暮らしを全うしてもらいたい」(鈴木先生)

 次回は、武蔵嵐山病院のリハビリテーション科にうかがったお話を掲載予定です。

[*]^ 鈴木先生が在宅看取りにおいて最も重視しているのはスピリチュアリティへの配慮で、スピリチュアル・ペインへの対応だけでなく、患者がどのような人生を送り、病気や障害と向き合ってきたか「ものがたり」を理解し、患者の人生の意味や家族が看取る意義を、患者・家族と対話の中で模索、理解するケアも含まれるとのこと。参考、「治療」2016年1月号「特集・在宅医療の質を高める/在宅看取りの質を高める」、南山堂刊。
 終末期の摂食支援におけるナラティブ・ベイスド・メディシンについては、改めて取材をしたいテーマと考えます(筆者)。