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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第67回 食べることを支える医療・介護
身近での広がりを願って(後編)

はじめに

 本日11月11日は介護の日。介護の中で「食べることを支える」は、重要なことです。とくに昨今、食支援に携わる人に話を聞くと、医療の外、つまり病気になる前と病気になった後、在宅・地域で日常の「食べることを支える」が重要だと考えていることがうかがえます。
 それは早急に、より多くの介護職の方、そして一般の方々にも食支援について知ってもらい、参加してもらう必要があるという危機感を抱き、動いているという話です。
 口々にそんな話を聞き、学んでいると、「食べられなくなったとき、食べることを支えてくれる人はどこにいるのか」と悠長なことを言っていていいのかという気になり、思い直すこととなりました。

ケアを待たず、求めていこう
取材のおかげで貴重な気づき

 前回は、食支援についてマスコミの伝達力の弱さを感じていること、反省と、これから取り組みたいこととして、一般の方々に食支援の必要性を知ってもらうため、食支援のトップランナーたちの本を作りたいことなどを書きました。
 もっとも、実のある情報を選んでいく賢明な読者・視聴者は増えると思うので、伝達力を心配することはないかもしれません。今後は介護で困り、悩む人が増えるから、情報を選ぶ人が増えると思うのです。
 身近な人の介護で困ること、介護が大変なこと、看取ることは、自分の生と死について教わることだと思っています。
 目の前の現実は、出版や報道で伝えられる以上のことを伝え、身近な、大切な人が見せてくれる問題は、そのことを自分のこととして考えさせるインパクトをもっています。
 よほど急逝ということでない限り「食」の問題は発生すると思われるので、日々当たり前に食べていることが難しくなる日が来ることを、そのとき教わります。その機に、自分はどう食べていくか、生きていくか考えることから、自身の健康づくりや、自分にできる他者へのケアに思い至る人は多いでしょう。
 筆者自身が介護で困り、教わり、その後この連載を通じても「食べる意味」を知っていくことで、この頃では周囲の、とくにご高齢の方の栄養状態などが気になるようになりました。食支援があること、必要なことを知ったからです。
 急激に痩せた人や、入れ歯を外したままのことが多くなった人、町の行事に出て来なくなった人などに気づくと、何ができるわけではないけれど、道ばたで声をかけずにはいられません。
「ごはん食べている?」
「病院に行っている?」
「歯医者さんはどこにかかっているの?」
「デイサービスとか、行っていないの?」
 ご近所さんで、世間話を交わしてきた仲だから遠慮なく。聞いてみれば、そういう人のほとんどが何らかの理由で医療や介護サービスと関わっているようです。
 それでも痩せて、必要なケアを受けているのかしら。頑固だから、かかりつけの先生の言うこと聞かないのかな。単身だから、難しいのかな。医療や介護、福祉に携わる人の中にも、食支援を知らない、理解していない人もいると聞いているので募る心配。すると、ある日、気がかりだった人が町から消えています。
 そして暮らしていた家に戻ってくることは少ない。この数年の間に何人か、そういうことがありました。筆者の暮らす町は、区内でもすこし高齢化率が高く、独居も増えている地域なのです。
 やはり「食」を支える人が、今ここに必要です。もちろん「食」だけではなく、暮らし全般にさまざまな問題があるとしても、ひとまず地域に、食支援で関わり合える専門職はいないだろうか。一市民としてこの地域在勤の医療や介護の専門職の方々とつながりたいと思うようになり、町の外へ働きに行っている専門職の方、子育てなどで休職中の専門職も、町にとって貴重な人的資源ではないかと気づきました。
 これからは地域で見守り、支え合いが大事(自助・互助)だと言うけれど、市民だけでは命を守ることはできないから、地域の専門職と関わりたい。顔なじみのお年寄りが、人知れず町から消えるのはかなしい。専門職ではない市民(筆者)から地域に必要な、専門職のケアを求めていくのもアリじゃないか。市民も地域包括ケアの一員、食べることを支える取り組みは市民にもできることがあると思い直したのです。
 そして、そのように市民から必要なケアを求めることは、今後、食支援の普及を促す一因になると思います。先駆例もあります。しかし、まだの所も多いはず。筆者が暮らす町もこれからです。これからのために、先駆例を取材したい。記事も書けて、町の参考にさせてももらえれば一挙両得。今年の介護保険制度改正の要点を学んで、危機感はより強まりました。
 我が町はようやく、主として現在の後期高齢者を対象に「要援護者の見守り」に目を向けたところですが、青年部的組織も高齢化している現状から、既に高齢者全体の「重症化予防」、次世代(筆者自身が属する世代)の「介護予防」を見なくてはならないと感じます。2025年までたった10年、2035年まで20年しかありません。市民の間で、仲間を増やすことも大事だと思っています。

 一方、昨今は医療・介護の食支援先駆者が職場を飛び出し、町に出て、一般に向け「食べる意味」「食べることを支える取り組み」を伝え、リスクがある人をみつけ、ケアにつなげる試みをいくつか取材しています。
 また、食支援に長けた医療職からケアの現場に多く関わる介護職へ、連携のための教育も広がり、食支援の必要性と魅力が伝えられています。それは医療職、介護職双方から、求める声が強かった結果とか。地域医療、介護の現場では、必要に迫られて食支援を押し上げる“風”が吹いているのでしょうか。取材した多くの食支援先駆者からは、「食べることを支える取り組み」は地域包括ケアの中で多職種連携を実現するカギになる、などとも聞いています。
 「食」をキーに、職域を超えた教育、連携が進み、専門職がそれぞれの勤務地や居住地で食支援をしてくれることは、我ら市民の自助・互助の下支えになります。とくに、医療・介護の食支援先駆者には一般に向け食支援の多様性、必要性を語り、教えていただきたいです。皆さんの「食支援を広げなければ!」という実感を伝える「語り」が、市民の気づきを促します。
 さらに「摂食嚥下」「サルコペニア」「侵襲」「医療資源」等々。言葉が難しく、身近なことと捉えにくい。一般の人が分かり、自分のこととして感じる「言葉」を、市民と共に生み出し、広げることも必要だと感じています。

 医療・介護の専門職から、また、市民から互いに手を出し、握手のような関係を創造すること。幸福な未来のイメージですが、どうでしょう。気づいた人が手を出す、行動を起こす。それだけ差し迫っていることを、取材と生活を通じて気づかされ、「ケアに当たる人はどうしたら増えるだろう、どこにいるのだろう」ではなくて、「ケアに当たる人をどうしたら増やせるだろう」が自分のことになってきました。
 多くの人……といっても、筆者にとってはわが町、ふるさとの町の人が緩やかに、穏やかに老い、幸せに生き終わり、逝く。超高齢社会にそんな理想をもつなら、市民も「食べる」という日々のことを見守り、自らケアに携わらなくてはならないし、町の医療・介護の専門職の手を掴みにいかなくてはならないと思わされ、動かされています。
 そして、すべての専門職の方は、それぞれの住まいがある地域でも「貴重な人材」だということをぜひ心に留め、行動していただきたいと願います。

 次回は、週刊朝日で漫画「ヘルプマン!!」を連載中のくさか里樹先生にうかがったお話を掲載予定です。