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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第63回 障害児の訪問歯科診療に“萌え” 
表情が輝く、その瞬間に立ち会いたくて(前編)

はじめに

 記事タイトルに“萌え”とつけたのは、取材の折、石塚ひろみ先生が笑顔で、
「1日の仕事の最後が重度障害児への訪問診療だとこちらが癒される。決してウソをつくことがない、かわいい子ども達のケアに行くのが好き♥」 などと、子ども達と接する喜びを繰り返したのが印象的だったからです。
 埼玉県草加市の高齢化が進む団地エリアで歯科医院を営み、外来診療と共に地域の高齢者の訪問診療を行う傍ら、高円寺の訪問専門歯科の立ち上げに関わり、重度障害児を中心に障害者への訪問診療を始めて約3年。草加市の特別支援学校の校医にも志願し、障害者や高齢者への訪問診療を積極的に行っている歯科医師・石塚ひろみ先生にお話をうかがいました。

食べる口も、食べない口も「からだの玄関」
ムダになる刺激は1つもない!

 石塚ひろみ先生が訪問診療をしているケースは障害者、高齢者いずれの場合も「生理学的・解剖学的背景が一般的な患者像とはかけ離れており、しかも多様で変化が著しく、コミュニケーションの問題もある」とのこと。食事を口からは食べない人も多数含まれます。
 主に口から食べることを支える取り組みを取材してきた本連載としてはイレギュラーですが、食支援に関する取材をする中では口から食べない人への食支援についても知りたくなり、とくに障害者の口腔ケアや摂食嚥下ケアに関心を抱きました。
 なぜなら、高齢者の口腔ケアや摂食嚥下ケアについては話題になることも多く、昨今、たとえ口から食べなくても口腔ケアや摂食嚥下ケアが大切だという認識と訪問診療(受診)が広がってきていますが、障害者に対する情報は極端に少なく、ケアの機会も少ないのではないかと気がついたからです。ネット検索など、簡単な方法ではほとんど情報が得られません。
 そんなことを考えていた矢先、2歳から103歳までの訪問診療を行っていて、とくに情熱をもって重度障害児のケアにあたっているという石塚先生の講演を聞きました。
 やはり日常的に、健康状態全般にさまざまな問題・不安がある重度障害児などでは、現実としてほかに優先されることがあり、日常の口腔ケアが十分でなかったり、必要な歯科治療を受けていなかったりすることが少なくないようでした。これは筆者が別に、父兄グループの代表に面談した折にも、同様のお話を聞いていました。
 乳歯から永久歯への生え替わりがうまくいかない、口唇口蓋狭窄と歯列不正、歯石の沈着、歯肉炎、口臭等々、口の中にたくさんの問題がありながら、治療等が受けられていない場合も少なくないのは、重度障害児の在宅への訪問診療を行う歯科医師は少なく、父兄が保健センターなどへ連れて行き、治療を受けるのが大変なためのようです。
 父兄が送迎できる日に治療の予約をして、連れて行くことができても、体調がわるければ治療をあきらめざるを得ません。また数ヶ月先の予約をして……と、先延ばしになります。そして、障害をもつ人は増え、寿命が伸びている中で、施設内の歯科は患者増・人手不足で困っている所が多いそうです。

「患者さんの中には緊張が強くていつも歯を食いしばっていたり、口が開かなかったり、口を閉じることができないお子さんもいて、障害により状態はさまざまです。過敏や治療拒否が強いこともあります。
 自力で動けるお子さんと動けないお子さん。口から食べられるお子さん、食べないお子さん。いろいろだけれど、基本としてお口の中がキレイになることを共に喜びながら治療を進めています。
 治療に慣れ、ケアが気持ちのいいものになり、ケアを受けることを嫌いにならないようにしたい。口の開閉に関係する関節を柔軟に保つこと、舌や頬の刺激で廃用萎縮を防ぐことなど、成長して、たとえ歯周病になっても生涯に亘って治療が受けられる状態を保つことを大切に考えています。
 まずは患者さんの視界を確かめ、視線が合うか確かめて、緊張と弛緩、過敏と麻痺の有無を確かめます。そして、どんなケアをするか伝え、頭頸部の骨や筋肉の状態を確認しながらマッサージし、次いで指を口腔内に入れて口蓋をゆっくり広げ、お口の中を診るという感じで行うと、案外、お子さんはどっしり構えていて、側で見守るご父兄の方が緊張している場合もありますよ。開口器の使用や抑制は必要ないと思っています。動きが激しい場合は、寝かせみがきの姿勢で。
 認知症の高齢者の方の場合も、アプローチはほぼ同様です。
 言葉は交わせないお子さんも、治療を無事に終え、『よく頑張ったね! キレイになったよ』などと声をかけると、束の間、微妙でも表情が輝いて、かわいい。思いっきりハイタッチをしてくれる子、得意げな表情を見せる子、皆、愛らしい。
 頑張り屋さんが多く、褒めてもらうと嬉しい気持ちを素直に表現してくれるのです。ご父兄や側についている看護師さんやヘルパーさんに、先生が来たときは態度が違う。なんだかいつも以上に“いい子”。なんて言われると、嬉しくなっちゃいます」(石塚先生)。

 また、乳歯の生え替わりの管理も大切で、強く食いしばっていたり、薬の副作用で永久歯が生えてこない場合の治療、抜けた乳歯の誤嚥予防、口から食べない(咀嚼によって研磨されない)場合の歯の研磨なども気をつけている、とのこと。さらに、日常の口腔ケアがうまくいかない、やり方が分からないという声は多く、ケアにあたる父兄や支援学校の先生方、周囲の看護・介護者に口腔ケアの手法を指導するのも大切な仕事だと話します。

「いきなり口に歯ブラシが入ってきたら怖いから、歯みがき前には声がけしてね。歯を“見て”磨いてね。そういった誰に対しても共通のアドバイスもあるにはあるけれど、個々の患者さんの障害とお口の中の問題、背景にある病気は1人ひとり違うし、日によって変わる体調にも配慮が必要なので、一概にどのようなケアを行うのがいいと言えるものではないです。
 それでも『口はからだの玄関』で、感覚のするどい場所だから、不快でない刺激なら、どんな刺激もムダになることはないです。
 先天的な心臓病で口蓋裂の手術ができないお子さんや、染色体異常が原因の筋ジストロフィーなどで胃ろうが造設されているお子さんなど、食べることは期待できなくても、味わうことはできるし、大切だと思っています。
 支援学校の授業には親子一緒にジャム作りをする機会があり、舌にのせて味わい、すぐにガーゼで拭き取りますが、表情も舌も動きます。キシリトールを使うこともあります。香りを味わうこともよい刺激、QOL向上になるんですよ。
 成人の障害者の患者さんに、障害をもつ前に好きだったカップ焼きそばの香りを嗅いでみることを勧めたことがあります。懐かしい香りに反応があり、また1つ、情報伝達回路がつながったね! と喜び合いました。五感への刺激は、お口も含め全身の機能改善のリハビリテーションの1つになります。
 高齢者の場合も、誤嚥のリスク、とくに重度の認知症やサルコペニアなどで不顕性誤嚥のリスクが高い場合には、食べることの意味を考えた上で“食べない”こと選びつつQOLに配慮することも大事だと考えています。訪問歯科は生活習慣の改善にはたらきかけ、『食』教育を担う役割があると自負していますが、生命の危険を招くような食事は勧められません。その辺の見極めが甘いと、周囲の多職種との連携もうまくいかないのではないでしょうか」(石塚先生)。

 次回も引き続き、石塚先生にうかがったお話を掲載します。