ルポ・いのちの糧となる「食事」
食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。
- プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)
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出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。
第46回 始動、みんなの健康サロン「海凪」(みなぎ)
地域の暮らしを支える場をつくる(2)
はじめに
前回(連載第45回)より、3月まで市立輪島病院で主任看護師をしていた中村悦子さんが一般社団法人みんなの健康サロン「海凪」を設立し、市内に「みんなの保健室わじま」を開いた経緯とお考え、今後の展望をうかがった記事を掲載しています。
地域で継続した栄養・口腔ケア
“みんなで”ならできる
輪島病院にNSTが稼働し(2004年)、2010年に「栄養サポート室」ができてからは専従看護師として勤務していた中村さんには、在職中から「栄養ケアは病気の前後も重要なので、地域に栄養ケアを担う場が必要」という気づきがありました。背景として中村さんの“やりたい看護”とは、「しっかり食べて、すっきり出して、ラクに呼吸して、ぐっすり眠れ、辛いときに(側に居なくても)相談できる誰かとつながっている」を支えるもの、という想いがあります。
「訪問看護の経験で、しっかり食べられないと在宅療養の継続が難しいことを知りました。栄養ケアは、口腔ケアから食支援、排泄ケアまでセットで、『食べられない』場合にどうするかは、患者さんがどのように生き、どのような最期を迎えるかに直結した問題になります。
患者さんや家族、医療・介護に関わる人の考えや想いを確かめ、家族の介護力や地域のサービス能力も加味して調和をはかり、『食べられない原因は何か』探して対応すると共に、継続した口腔ケアを支え、食べられる楽しみを支えることが在宅医療に関わる看護師に求められると自負しています。
そして、食べたくないという場合も、なぜかを見極めて対応しつつ、口腔ケアが途切れないように支える必要があります。そして終末期には今後予測される状況を家族に説明し、どのような最期を迎えることを患者さんが望むか、ご家族の希望はどうか考え、さまざまな意思決定をする際のサポートも要します。
一連のことには専門的な知識と技術が必要で、その学びと経験をNST業務で重ねてきたので、今後は地域に還元したいです」。
中村さんは在職中にさまざまな関連学会や勉強会にも足を運び、知識と技術と人脈を得てきました。今回、ご自身で場をつくるバックボーンに、その知識と技術と人脈は不可欠なものだと察します。
余談ですが、中村さんほか本欄で取材をした方々を通じて筆者が感じているのは「仕事をする上で本当の勉強が必要になり、それを怠らない人がプロフェッショナルである」ということです。とくに変化の激しい医療・介護分野で「卒後教育」は幅広く必要かもしれませんが、それは医療・介護に限らず、どんな仕事をする上でも同じでしょうか。筆者は自らを戒める機会を得て、学生時代は勉強する訓練をしていたようなものだった、と考えるようになりました。
健康や介護、生活上の困りごとを気軽に相談できるケアラーズカフェ、「キャンナス[*]わじま」の事務局、地域栄養アセスメントの拠点。ひとまずこの3つを集約した場をつくることを決めた中村さんは1月末に一般社団法人みんなの健康サロン「海凪」を設立し、3月末で市立輪島病院を退職しました。そして、摂食嚥下しやすい食品や減塩料理などサンプルを試食してもらえるようにと、冷蔵庫と電子レンジ、ファクス、本棚だけを買い、これまで集め学んだ書籍と共に持ち込んで「みんなの保健室」の開設準備に入りました。
「どうなることやと思ったけれど、応援してくださる方がたくさんいて、全国からいろいろな物が届いて、なんとか体裁も整ってしまった(笑)」。
取材にうかがったのは4月12日のオープンから数日を経たばかりでしたが、保健室の中はデスクもイスも、細々とした備品もそろっていて、立派なものでした。祝いの花もたくさんありました。中村さんの志を応援する全国の学びの師や仲間が送ってくれた品々に囲まれ、話を聞いている横ではキッチンを設える工事が行なわれていました。
「開室式で講演してくださった紅谷浩之先生の『みんなの保健室』や、秋山正子先生の新宿の『暮らしの保健室』、龍澤泰彦先生の『石川県がん安心生活サポートハウス つどい場はなうめ』など、各所の先駆例を見学していたので、参考にしました。とくに紅谷先生には『連携しましょう』と言っていただいて、名前も、ロゴも合わせ、モデルになっていただいています。
その上で輪島ではどういう機能を設備しておきたいか考えて、日常の買い物をするショッピングセンター内という場所柄、『買い物のついでに一休み。お茶を飲みながらお喋りする』が現実的なので、キッチンを急いでいます。持ち込みも可能なカフェにする予定ですが、安価で食事の提供もしていきたい。単身のお年寄りなどの食卓にはのせにくい料理など、提供して差し上げたい。
この場に来ることができない方には求められればいつでも出向きますが、来られる方には来て、社会参加していただきたいのです。とにかく敷居の低い居場所にしたいですね」。
お話は取材時そのまま。後日、素晴らしいキッチンができ、地元食材を使った料理の提供が始まったことを中村さんのFacebookで拝見しています。食事提供を始めた日のメニューは「きのこご飯」「ウドの天ぷらと酢味噌和え」「ワカメの味噌汁」で、海山の幸豊富な輪島らしい、うらやむ献立でした。
また、キッチン工事の脇では血糖値測定ブースの算段や、介護用レンタルベッド展示の準備が行なわれていて、「始まりの活気」がみなぎっていました。
なお、12日の開室式は「この場を利用する市民に来てほしかった」ということで、ほとんど来賓を呼ばず、新聞折り込みで市民に告知チラシを配布。当日は予想以上の150名近い市民が集い、盛況だった様子が北陸中日新聞やNHKで報道されました。
「オープンや開室式の準備も、手弁当で手伝いに来てくれる輪島内外の人に支えられました。オープン後も毎日のように同級生たちが私の安否確認に来てくれます(笑)。遠方に住む同級生から、輪島でご健在の両親のことを頼みたいと連絡があり、そういう場があるなら安心して暮らせそうだから将来は地元に帰りたいと言われたのもうれしかった。
輪島病院の市民ボランティアチーム「なでしこ」の方々も心配して見に来てくれ、できることをやるよと声をかけてくれました。このマンパワーがある。私も支えられている。みんなでなら、できる。この数日、改めて人の力、地域の力を実感させてもらっていて、気持ちが引き締まります」。
中村さんは家族にも支えられている、と話しました。「せめて開室式で『いつも迷惑をかけている家族にも感謝している』と言いたかったのに、緊張して『放し飼いにしている家族に…』と言ってしまって。なんだか礼を言ったのだか、失礼を言ったのだか…。めんぼくない」と苦笑。朗らかな中村さんには支え合う人の和の中にある安心と自信を感じました。
次回も引き続き、中村悦子さんのお考えや展望について取材した記事を掲載します。
神奈川県藤沢市に本部を置く。全国に74の支部があり、北陸では富山県に2か所、福井県に1か所あり、石川県では「キャンナスわじま」が初の発会。医療・介護・福祉のサービス適用外のケアニーズ(相談受付<無料>、家族の負担軽減・支援、体調チェック、外出・外泊支援、終末期の看護・看取り支援など)に応える有償ボランティアを行なう。
- プロフィール
- ●中村悦子(なかむらえつこ) みんなの健康サロン「海凪」代表、みんなの保健室室長、キャンナスわじま事務局長。看護師、公益財団法人さわやか福祉財団さわやかインストラクター。輪島市出身・在住。金沢医科大学附属病院を経て、市立輪島病院に勤務。1998年、同病院で訪問看護事業の立ち上げに参加し、2004年NST稼働時よりメンバーとなり、2010年「栄養サポート室」専従となる。2015年3月、同院を退職して、現職。