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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第42回 書籍紹介 「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」(花戸貴司・文、國森康弘・写真 農文協刊)

はじめに


 ご紹介する書籍「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」に書かれていることは、食べられない人の栄養管理法でもなく、摂食嚥下ケアの話でもありません。
 この「ご飯が食べられなくなったらどうしますか?」という問いは、「終末期をどのように過ごしたいですか?」という問いで、最期まで自宅で日常の暮らしを続け(往診を受け)たいか、病院や施設で治療やケアを受けたいかを問うもの。実際に、著者である花戸貴司医師が地域医療の中で患者に問いかけている言葉です。
 本書には、医療・介護・家族・地域が「在宅療養・介護を希望する高齢者」に寄り添う様子が綴られています。読後、食べることを支える取り組みのベースとして、大切なことを再確認した思いがありました。
 そして、花戸医師ほか本書に登場する医療・介護関係者の思い・行動には、これまで本連載で取材した「栄養アセスメントに携わる医療者・介護者」「摂食嚥下ケアに携わる医療者・介護者」「介護食品開発に携わる人・企業」と共通するところも多く感じたので、これからそうした仕事をめざす方、家庭介護をされている方にも参考になると考え、読後感を交えてご紹介することにしました。

包括ケア先進地域の医師が綴った
安心して生き、死ねる社会の在り様

 著者の花戸貴司氏は滋賀県の南東部、東近江市の山間農村部にある永源寺診療所の所長を務める医師で、15年ほど前から永源寺地域での地域包括ケア「地域まるごとケア」に携わり、滋賀県東近江医療圏の医療・介護ネットワークを進める「三方よし研究会」(2007年発足)の実行委員長も務めています。
 診療所のある永源寺地域は既に高齢化率が30%を超えていて、地域内でも少子高齢化が著しい山間部では高齢化率が60%を超える集落もあるということで、本書の中では、
「言い換えると永源寺地域は全国よりも10年進んだ地域」
と表現し、ただし高齢化が進んでいても、
「病気を抱えていても元気に暮らせる、認知症になっても安心して生活ができる、歳をとっても最期まで家で過ごせる、そんな誰もが願う希望がかなえられる地域の力がある」
と紹介しています。そうした地域に根ざし、往診で垣間見たお年寄りの暮らしぶりやご家族、ご近所の様子、地域医療に携わる中で感じ、考えたことを綴っているのが本書で、農文協刊「現代農業」に連載された記事と書き下ろし記事を合わせ、花戸氏の往診に同行取材した國森康弘氏の写真を添えた構成です。

 本書を読み、食べることを支える取り組みのベースとして、大切なことを再確認したと先述しましたが、それは今後進められようとしている地域包括ケアの中では、

  • ・「生老病死」全体が1人の人の人生である
  • ・「自助」「互助」「共助」「公助」併せて地域の力である

という2つの“当たり前のこと”を皆が思い出す必要がある、ということです。
 本連載の取材で知り得たことですが、医療や介護を提供する側では、できる・できない、成果がでる・でないということに目が向けられて病気や障害が進行すること、亡くなることが「わるいこと」「負け」「失敗」と考えられていることがあるようです。
 また、病気の悪化や死を受け止めきれない患者や家族も多く、医療や介護に携わる人が成果を求められて困惑している話も耳にします。しかし今後、地域で介護し、看取りをしていくならば、人は「病」や「死」をも生きるというか、死ぬまで生きるということを誰もが思い直す必要を感じます。
 とはいえ私も身近な人がたて続けに病み、介護・看取りを経験し、この連載の取材も始まって学ぶ中で「老病死」というものを考えるようになりました。今は「食べる」「生きる(老いる)」「死ぬ(病む)」を分けては考えられないと思うようになりましたが、まだ何も分かったとは思えません。病気と生きる人や介護経験のある先輩、医療・介護に携わる人に支えられて友や親を見送り、学び、今も学びの途中です。
 そこで、医療・介護に携わる人には「生老病死」全体が1人の人の人生であり、主役はその人自身で、寄り添うことで学びがあることをよく見知る人として患者や家族、地域にそれを伝える心をもって接していただきたいと願います。
 なぜなら現代の都市生活から「老病死」は遠ざけられ、関わり、誰にとってもとても大切なことを学ぶ貴重な場所が医療・介護の場であるから。老いて病み、死に至る自然を思い出し、どのように生き、どのような医療・介護のサポートを受けるか考え、行動する患者、家族を育てることも、包括ケアという取り組みの中で重要なワークではないでしょうか。
 また同様に、何でも人任せ・公共サービス任せ・お金任せではなく、自立・お互いさま(自助・互助)の精神も地域の中で思い出し、発揮されなければ、ケア難民だらけ、不平不満だらけの超高齢社会になってしまいそうです。
 職住が離れていることが多い都市生活で互助を成立させるには、働き方を考える必要もあるかもしれず、一朝一夕に改善できることではないかもしれません。仕事中心の生活をしている人が多い都市では誰も(医療者・介護者も)が、自分の暮らす場所で互助の一員として生活できているか、町に互助の蓄え、将来への備えがあるか、地域を見直す必要も感じます。
 自然の摂理を受け止め、最期まで自分らしく生きる高齢者を見守り、支える永源寺地域の在り様から学ぶことは多く、確かに10年進んだ地域だと思い、多くの方に読まれる必要を感じました。

 一方、花戸医師ほか本書に登場する医療・介護関係者の思い・行動は、これまで本連載で取材した食べることのサポートに取り組む方々とも共通する点が多く、「本気で医療・介護の最前線に立っている人は、言葉は違っても同じことを話している」と改めて思いました。
 共通点は多々ある中、重要だと思ったことは、

  • ・ 安心して、自立した生活に戻れるように(続けられるように)支える
  • ・ 医療ができることは限られ、とくに在宅介護を受けている人にはキュアよりケアが必要で、地域の多職種が連携し、最期まで患者・家族に寄り添うことが大切

というものです。
 情熱をもって医療・介護の場で「食べること」を支える先駆例をつくってきた方々は、先に述べた『「生老病死」全体が1人の人の人生である』からこそ、現存する健康機能維持をめざし、自立を支えながら、決して無理はさせず、見守っています。食べられなくなったら、食べるにこだわらず、「食べない」を支えつつ最期まで寄り添い続けるから、患者も家族も安心です。
 連載には一般論として「老老介護サポート」「摂食嚥下ケア」「低栄養予防」「QOL改善」などが必要と書きますし、「孤独死防止」「ADL改善」「残薬対策」などの言葉を扱うこともあります。しかし言葉がトピックスになり、画一的に考えられては、ケアを後退させることもあると危惧しています。
 人は誰もそれぞれ選んだ暮らし方、食生活があり、それが犯されたら安心して暮らせません。ケアは善悪の問題を置いて、個々(自助)に寄り添う必要があります。ケースバイケースのそれは大変なこと。だから多職種連携や仕組みづくり、地域の支え合い(互助)が必要になるのでしょう。取材した食べることを支える先駆者たちは、キーマンとなって人や組織を巻き込み、動かして、ケアを続けています。すべては介護を受ける人が「最期までその人らしい人生を全うできるように」と。
 本連載では取材した先駆者たちの患者・家族、地域との関わりを詳細に書けていません。しかし、本書には同様に「寄り添う」姿勢で地域のお年寄りを見守る花戸医師ほか医療・介護関係者、ご家族、ご近所の様子が詳しく書かれています。添えられている國森氏の写真がお年寄りの安心を物語っています。

 次回は、農林水産省が取り組む新しい介護食品「スマイルケア食」について同省食料産業局食品製造卸売課にうかがったお話を、本取り組みの準備として設けられた「介護食品のあり方に関する検討会議 認知度向上に関するワーキングチーム」で座長を務めた東口髙志先生のお話を交えて紹介します。