ルポ・いのちの糧となる「食事」
食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。
- プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)
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出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。
第39回 回復を支える栄養管理の中で生まれた
嚥下食を豊かにするソース(前編)
はじめに
脳卒中などの脳血管疾患や、大腿骨や頚部の骨折、外傷による脳や脊髄の損傷などの急性期病院での治療後(術後)、患者の「寝たきり防止」と「家庭(施設)復帰」をめざして、日常生活動作(ADL)の改善を目的としたリハビリテーションを集中的に行うのが回復期病院(または回復期病棟)です。
また、その他の原因による廃用症候群(安静状態が続いたことでさまざまな身体機能が低下した状態)患者も、リハビリテーションによって回復が見込めるケースについて受け入れます。
患者は大病や事故などから一命をとりとめたものの、体や心のさまざまな機能が著しく低下した状態なので、医師・看護師・理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・医療ソーシャルワーカー・薬剤師・管理栄養士など専門性の高い医療スタッフに支えられ、生きる力と気力を取り戻します。入院期間は症状によって異なりますが、概ね3~6カ月です。
食べるということについていえば、急性期病院などから転院した時点では栄養状態が悪化している患者が多く、摂食嚥下機能障害を伴っている場合も少なくありません。そこで、まずは摂食と消化に負担の少ない嚥下食を食べ、徐々に普通食へのレベルアップをめざします。栄養状態が改善されていく中、起きて、動く時間を増やし、それぞれの機能障害に合わせたリハビリテーションを行なって、気力体力を養っていくことになります。
そのような病院(病棟)ですから、リハビリテーションの一部として食べることのサポート、栄養管理について重要視した取り組みがあるのではないかと調べていて、1冊の本に出会いました。
その本は、「嚥下食をおいしくする101のソース」(中山書店、2010年刊)。千葉県習志野市にある医療法人社団保健会 東京湾岸リハビリテーション病院院長・近藤国嗣先生監修、同栄養科編集のレシピ本です。
今回は、本書の制作に携わった同院栄養科主任・管理栄養士の中込弘美さんにうかがったお話を紹介します。
元気を取り戻してほしいから
いろんなものを食べさせたい
東京湾岸リハビリテーション病院は、2007年3月の開院です。同院栄養科主任・管理栄養士の中込さんは、系列の谷津保健病院から開院時に移動となり、初めて嚥下食を担当することとなった当時、「どれも茶色っぽい、どろどろのミキサー食になってしまっていいのか?」と疑問をもったと話します。
「現在ほど回復期病院(病棟)もなく、回復期の栄養管理や嚥下食についての情報も少なかったので、当時、一般的だった嚥下食を提供しようとすると、そうなってしまう。しかし近藤院長が患者さんの栄養管理を重視して、工夫することを促してくれました。
どれも茶色っぽくしてしまう『だし&醤油味』にこだわらなくても、今の患者さんは元気なときは西洋料理なども召し上がっていたはずだから普通の生活者の発想で工夫してみては、と。
そこで栄養科は、自分達も『今日は中華の気分。和食の気分?!』などと言って、食事を選ぶのに、患者さんにはコレしかないというのはおかしいよね、と話し合ったのです。
はっきり覚醒していない方には、しっかりした意識を取り戻して、生きる力をよみがえらせていただきたいですし、さまざまなリハビリテーションを始めた方の体力を支え、気力を養い、体を動かす喜び、食べる楽しみを思い出していただきたい。ならば、見た目も味も違う、いろんなものを食べさせてあげられるようにとソースを工夫するようになったのでした」。
ソースをかける土台となる部分は蒸し野菜(ペースト、キザミ、一口大など摂食嚥下障害レベルによる、以下同)や豆腐のムース、介護食材の魚や肉のムースなど同じ物のローテーションでも、とろみのあるソースに変化をつけると和風、洋風、中華風などさまざまな味わいになります。五味五色の食事を提供することが可能になりました。
土台は、摂食嚥下障害レベルに合わせて用意するので、レベルアップするまではあまり変えようがないのです。しかしソースは、普段使いの調味料を組み合わせたり、裏ごし野菜を加えるなどして、多彩に変化をつけられます。さらに土台の食材を「滑りよく、まとまりよくする」「摂取カロリーを上げる」など機能面でプラスアルファの効果も。
「嚥下食を召し上がる患者さんというのは、食事に意識が向いている方は少なく、意識がはっきりされていて、活動意欲が出ていれば、食事のレベルも移行食や軟菜食[*]に近づいています。
ですから、ソースを工夫したからといって、患者さんから直接反応があるわけではありません。しかし、味覚への刺激や味わいの変化など何かが、患者さんの食が進むきっかけ、元気を取り戻す助けになってくれることを願っています」。
数年を経て、ソースのバリエーションがどれだけあるか数えてみたところ、「けっこうあるね。本にしたら」と再び近藤院長に促され、「嚥下食をおいしくする101のソース」を出版することになったそうです。
「掲載したのは、すべて実際に嚥下食の献立で使用しているソースです。
当院では、栄養科以外の全スタッフに患者さんが食べている食事を試食してもらう『検食』の機会があり、そこで嚥下食も食べてもらって、意外とおいしいという評価をもらっていました。また、患者さんのご家族を対象とした『家族教室』を栄養科が担当した折に試食していただいたときも、『こういうお食事があるんだ』『意外とおいしい』などと概ねご好評をいただいていたので、広く知ってもらえ、誰かの役に立てばうれしいと、出版につながったのです。
当時、出版されていた介護食レシピは『イチから手づくり』の内容のものが多く、実際に介護をするご家族が毎日つくるとしたらハードルが高いのではないかとも感じていたので、もっと手軽にできることを伝えたい気持ちもありました。
一般のご家庭にもある調味料で、短時間でつくれるソースレシピ集です。嚥下食以外の料理にも使えますから、ご家族全員で召し上がっていただけます。嚥下食以外の食事と一緒につくれて、要介護者も家族と同じ物を食べている感が味わえることが大切だと思っています。
一般のご家庭で実際どうかは分かりませんが、出版から数年を経ても、医療・介護関連の会合などで出会った方からは『簡単で、いい本』などと声をかけていただくことがあって、つくった甲斐がありました。昨年は、他県の言語聴覚士主宰のセミナーに呼ばれ、講演する機会をいただき、思いがけない広がりに驚いています」。
在宅介護の場でも、心身の機能維持・回復と、日常生活動作(ADL)の改善を目的としたリハビリテーションの効果を上げるために「栄養状態の改善」「十分な栄養補給」が不可欠です。まずは必要量の食事がしっかり食べられることが大切ですが、たとえば家庭で、「摂食嚥下障害レベルに合わせた嚥下食」として日々3度用意するのは大変なことです。
老老介護が増えている中、「嚥下食をつくる人が挫折しないで、つくり続けられる」という点を重視したレシピ本はまだ少ないので、筆者も本書に注目しました。
嚥下食用といっても家族も食べられるソースやおじや、デザートの簡単なレシピで、自身の介護体験を振り返って考えると、この本を開き、嚥下食といっても「この発想でOK」と知ることが、まず患者家族にとってはほっとする、そんなレシピ本ではないかと思います。
次回は、こうした発想力の源と思われる同院の栄養療法・栄養管理体制についてうかがった内容を掲載予定です。
- ・嚥下食(5レベル)
ペースト
ミキサー
細キザミ
キザミ
一口大 - ・移行食(肉や魚など嚥下食用の軟らかいものより軟菜食に近づけ、野菜は嚥下食と同様)
- ・普通食(2レベル)
軟菜食
常菜食