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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第35回 阪大発、地域医療へ 
摂食嚥下ケアの人材育む NPO法人 摂食介護支援プロジェクト Vol.2

はじめに

 前回は、大阪大学歯学部の医師を中心に、「食べる」を支えることに注目して集った医療・介護関係者が組織するNPO法人 摂食介護支援プロジェクト(2006年~。以下、DHP:Dysphagia Support and Health Care Project)の事業全般について、うかがった内容をご紹介しました。
 今回は、DHPが提唱する「食医」とは何か、摂食嚥下専門医で、食医の一人としてDHPの研修の講師も務める小谷泰子先生(医療法人美和会平成歯科クリニック院長、寝屋川市)にうかがった内容をご紹介します。

あなたも「食医」に
患者それぞれに持続可能なケアを

 小谷先生が院長を務める平成歯科クリニックの待合室には、「虫歯や歯周病のみの症状でお困りの患者様の診察は行なっておりません」と掲示されています(写真)。それは、小谷先生が摂食嚥下障害とドライマウス、睡眠時無呼吸症に限定して診療に当たっているためで、虫歯や歯周病のみの患者が来院した場合は、近隣の歯科へ紹介しています。


 この専門診療体制は開業時から変わらずに続けていて、中でも、約8割が訪問診療となる摂食嚥下障害の診察・機能評価・ケアに、とくに力を注いでいます。
 そもそも、実家の僧家に集まるお年寄りが「食べられて、喋れたら、それだけでしあわせ」などと口を揃えて言うのを聞いて育ち、そのしあわせを支える仕事を担う気持ちで歯科医師をめざしたという小谷先生です。
 広島大学歯学部を卒業した後は、大阪大学大学院に進み、大阪大学歯学部附属病院の顎口腔機能治療部に入局。現在、診療対象としている摂食嚥下障害などの治療と研究に携わる一方、先輩医師の野原幹司先生(現大阪大学歯学部附属病院顎口腔機能治療部医長)達が立ち上げたDHPの研修会で講師を務め、同時に摂食嚥下専門医として訪問診療に携わるようになりました。
 そして2009年、そうした専門性を大阪の住宅地の一つ、寝屋川市の地域医療で活かそうと専門クリニックを開業したのです。

「歯科医師を志した動機でもあることだし、高齢化が進む中で求められる機会が増えると思ったので、とりあえず専門でやってみようと開業して、もうすぐ6年です。未来の地域医療のことを考えた一つの社会実験みたいなものだった、とも言えるかも」。

 そう話す小谷先生にはこだわりや気負いは感じられません。近隣に虫歯や歯周病の治療が受けられる歯科医院は数件あるし、摂食嚥下障害などで困っている人がたくさんいるのだから、「専門クリニックもええんちゃうかなと思って」と、にっこり。
 開業から5年半を過ぎてカルテ番号は1600件を超え、開業時の人員配置(小谷先生と歯科衛生士2名)では多忙となり、途中、歯科衛生士1名を増員したとのこと。ドライマウスと睡眠時無呼吸症はほとんどが外来での診察・治療ですが、摂食嚥下障害のほとんどは往診。DHPの嚥下トレーナーの認定を受けている歯科衛生士を同行します。そのため、小谷先生は終日「出たり入ったり半々、やや外来多め」の日々です。
「摂食嚥下障害の患者さんの機能評価やケアには、主治医やご家族とのコミュニケーションが必要で、患者さんが生活している場所で『食べる』を診ることが大切」と話し、主に在宅介護の場へ足を運んでいます。そして、そのように「食べること」を支える人は皆が「食医」なのだと話します。

「食医というのは、資格ではありません。皆さんに『食医になりましょう!』と呼びかけるための言葉です。
 日々の食べることを支えるのは、歯科医師と歯科衛生士だけでできることではなくて、主治医のほか患者さんに関わる医療・介護者、ご家族が連携していなければ進められないので、皆で『食医として関わりましょう』という意味です。
 本来は患者さん自身も、自らの食医として『食べる』を見直し、低栄養や誤嚥性肺炎を予防して、希望の食事がとれるようになることが望ましいですね。とはいえ、患者さんは高齢で、疾患に伴う重い摂食嚥下障害や認知症の方が多いので、周りの皆のサポートが必要になることが多いわけです。
 食医は『食』の『医』と書き、患者さんそれぞれの目標に向かって解決策を見出し、取り組むけれど、キュア(治療)よりケア(介護)の要素が強いです。キュアやリハビリテーションの効果が思ったように出ないことも少なくありません。
 それでもケアを続ければ、患者さんの生きる力を支えることができます。そのための多職種連携で、共通の摂食嚥下ケア知識と、それぞれの専門性(診療技術)が必要なのだと思っています。
 また一般の、現在食べることに問題のない方も、セルフケア(健康づくり)で、加齢と共に起こるさまざまな機能低下を防ぐ『介護予防』の一つとして『自ら食医』は大切なことですよ」。

 小谷先生は、今もDHPの研修会で講師を務め、講習の場でも同様の話しをしているそうです。
「摂食嚥下障害は『時々むせる』程度から『誤嚥性肺炎後、絶食中』などの方まで多様で、一人ひとり環境や希望、変化の過程も異なり、アプローチが難しい場合も少なくありません。医療・介護者が単独でケアに取り組み、結果が出せないとしんどい。
 『やるからには100点のケアをめざさなきゃ。それが無理ならあきらめる』などとは思わないで、リラックスして、柔軟なケアを行なえるよう、専門的で、実践的な知識が広まる必要があると思っています。
 100点のケアめざして挫折するより、続けられる60点のケアの持続が大切でしょう。状態によっては50点でも、30点でもいい。無理して続かないよりは、きっと、ずっといいのです。
 訪問診療をしばらくやれば、いずれ終末期や看取りに関わる機会を得て、『こんな感じでうまくいくかな』と思っていたのに、『そうそううまくはいかないものだ』と教えられます。
 人の生命は、思うようにはなりませんが、最後まで寄り添うことこそ求められているのではないかしら。
 中にはご家族にも100点をめざそうと頑張りすぎてしまう方がいます。私たち在宅医療・介護に関わるケアの専門家は、ご家族の心が折れ、倒れてしまわないよう見守る責任もあります」。

 小谷先生は、情熱をもって冷静に関わり、家族と信頼関係を築く中で「これぐらいでええんちゃいますか」「これだけは守ってね」といった具合に、ほどよい加減の、持続可能なケアを支えるように心がけているということです。
 一方、歯科医療に携わり、これから訪問診療で摂食嚥下障害を診ていきたいと考えている歯科医師、歯科衛生士に対しては、

「歯科で『食べる』を診ることをあまり難しく考えないで、これまでより『ちょっと深く診る』つもりで始めて、臨床経験を積まれるのがよいのではないかと思います。
 『深く』とは、例えば入れ歯の治療をした際、それで終わりとせず、食事がとれているか、体重が減っていないかなど、患者さんの『食べる』まで診て、入れ歯の再調整を行なったり、食前の健口体操を勧めたり、食事の形態を見直すことを提案すること。
 1歩踏み込むことが摂食嚥下障害の診療(摂食機能療法)になって、食医として関わるということの始まりです。
 摂食嚥下障害の症状は多様で、さまざまな「食べられない」があればこそ、歯科医師や歯科衛生士ができることはたくさんあります。
 当院の歯科衛生士は全員がDHPの嚥下トレーナー認定を受けていますが、専門知識と技術を得て『仕事のモチベーション上がった』『やりがいがある』などと話しています。歯科衛生士達は私にとっては、共に診察(問診、嚥下内視鏡検査、食事観察など)を行なった後、機能回復訓練や口腔ケアを担う大切なパートナーです。
 口腔機能を診てほしいというニーズは今後より高まると思われますから、ぜひ摂食嚥下について専門的な知識と技術を身につけ、多くの方に食医をめざしていただきたいです」。

 次回も引き続き、小谷泰子先生にうかがったお話を掲載予定です。

プロフィール
●小谷泰子(こたにやすこ) 広島大学歯学部卒業後、大阪大学大学院の顎口腔機能治療部で、構音、摂食・ 嚥下、ドライマウス、睡眠時無呼吸症の臨床、研究を行う。大学で学んだ専門知識を一般にも広めたいという想いから、2009年5月日本初の試みと なる摂食・嚥下障害、ドライマウス、睡眠時無呼吸症の専門クリニック「平成歯科クリニック」を開院。開院後も週1度は大学での臨床研究を行い、口腔機能に関連する学会や研究会にも積極的に参加し、 最新の治療技術や知識の習得に余念がない。