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ルポ・いのちの糧となる「食事」

下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

食べること、好きですか? 食いしん坊な私は、食べることが辛く、苦しい場合があるなんて考えたことがありませんでした。けれどそれは自分や身近な人が病気になったり、老い衰えたりしたとき、誰にも、ふいに起こり得ることでした。そこで「介護食」と「終末期の食事」にまつわる取り組みをルポすることにしました。

プロフィール下平貴子(出版プロデューサー・ライター)

出版社勤務を経て、1994年より公衆衛生並びに健康・美容分野の書籍、雑誌の企画編集を行うチームSAMOA主宰。構成した近著は「疲れない身体の作り方」(小笠原清基著)、「精神科医が教える『うつ』を自分で治す本」(宮島賢也著)、ほか。書籍外では、企業広報誌、ウェブサイト等に健康情報連載。

第28回 連載開始から半年
「食を支える」取材を通じ、考えること

はじめに

 連載を開始してから半年が過ぎました。年も改まって、よいタイミングと思いますので、今回はこれまでのまとめを兼ねて全取材を通じて感じ、考えていることを述べます。

食べることに困ったら「待ったなし」
自ら食を見直し、ケアを求める必要

 本連載では、加齢や病気、障害などによって「食べる」が困難になった人を支える取り組みを取材しています。摂食嚥下障害や摂食嚥下リハビリテーション、口腔ケア、低栄養予防・治療などについて、さまざまな職種の人がどのように働いているか、どのような仕組み、サービス、商品があるか、また、専門的な知識と技術向上のためにどのような機会や資格があるかなどについてです。
 個人的な体験から、こうしたことを知りたいと思ったことがきっかけで取材を始めたので、連載開始当初に予想していた以上にさまざまな取り組みがあると知ることができていて、希望を感じています。
 昨今はとくに高齢者の摂食嚥下障害や低栄養が問題視され、取り組みはますます多様になり、マスコミで取り上げられる機会も増えていて、私には報道が勉強になることもあります。

 高齢者や闘病中、在宅介護を受けている人の「食べる」が難しくなると、体力低下や栄養状態悪化、免疫力低下などから「健康状態の負の連鎖」が起こることが少なくありません。その悪化のスピードは家族や周囲で介護(看護、介助)する人が考える以上に速いものです。
 生命の危険につながることもあるので、専門職によって「食べる」を支える多様な取り組みがあり、今後も増えて、早期のサポートが受けやすくなることを切に願い、今後も取材を続け、ご紹介していきます。
 ただし今現在、取材をしていて、専門職の数が足りず、ケア(サポート)のしくみは所によって異なり、医療・介護に携わる人の中でも食べることをどれだけ大切に考えるか、否か、「温度差」があると度々耳にしています。サービスの内容、質にも差があるのは否めません。
 そしてこれまで(おそらくこれからも)連載記事で取り上げる取り組みは、その取り組みに携わる人の情熱やホスピタリティに支えられているところが大きく、先駆的な、理想的な事例であるとも感じています。必ずしも日本全国、どこでも同じケア(サポート)が受けられるとは限らないということです。

 医療や介護のサービスに限らず、あらゆるサービス業で同じことが言えるのかもしれませんが、携わる人次第のようです。取材に応じてくださった方々はみな、それぞれの仕事でとても忙しい中、時間を割き、ひとえに「食べる」で困っている人にケア(サポート)のチャンスがあることを伝え、広がることを願って話をしてくれました。心から感謝しています。
 とはいえ一部、介護保険が適用となる高齢者のケアをビジネスチャンスとして、十分なサービスが提供できる体制ではないまま参入してくる事業者も少なくはないようです。
 そのため自分、または自分の身の回りの人が食べられないことに困っていると気づき、なんとかしたいと思ったなら待ったなしです。早急に食生活を見直す[]と共に、情熱をもってケア(サポート)に取り組んでいて、熱心に関わってくれる人を探さなければなりません。
 現代医療・介護の仕事は専門分化されていて、すべての医療者・介護者が「食べる」について詳しいわけではないようです。今はまだ、「食べる」に困ったときの相談は、「食べる」について理解がある人を選んでする必要があるとも感じています。

 これは自分や家族が食べることで困っている場合に限ったことではありません。
 医療や介護の職につき、担当の患者(利用者)の「食べる」を支えたいと考える人も同じです。実のある知識や技術を身につけなければ「支えられる人」にはなれませんが、求めればそれを得て、プロフェッショナルな仕事ができるようになると多くの先人が語ってくれています。
 現代はインターネットで公開されている情報からも「実のある知識や技術」を得る方法を探すことはできます。玉石混合の情報の中で真価を見極めるには独自の勉強と探求が必要ですが、学びながら探せば自分に必要な情報と必ず出会え、なりたい自分に近づけると思います。

 一方、私自身も含め、一般の生活者がケア(サポート)を求める場合は、自分や家族が「どのように食べるのが幸いか」を自分なりに考えて、求める必要があると感じます。
 「待ったなし」というのは、人任せにして待っていないという意味も含めて、です。栄養を確保すること、食べる人にとっての食の楽しみ、家族との団らんなどでのQOLの向上など、食生活・生活全体について考えた上で、自助では難しいことについて具体的に相談し、ケア(サポート)を求めなければ、結局、望むサービスは得られないでしょう。
 例えば、ケアマネジャーやソーシャルワーカーに相談するにしても、彼らの仕事は「求めに応じる」職業なので具体的な相談にしか応えようがないのです。
 情熱をもってケア(サポート)をする医師、歯科医師、看護師、歯科衛生士、栄養士、言語聴覚士、理学療法士、介護士なども「何をどのように食べたいか」「どのように生きたいか」、また、場合によっては「どのような最期を迎えたいか」に対応して、できる最善のケア(サポート)をしようと考えるようですから、自分(家族)のこととして意思を伝える必要があります。医療・介護任せにすることではなく、希望は具体的なほど叶うでしょう。
 かつて別の健康雑誌の記事のために取材した折、故・甲田光雄先生(取材時:大阪府八尾市・甲田医院院長、著書多数)は全国から来院する難病患者1人ひとりに合わせて断食や生菜食、小食療法、運動療法などを組み合わせた西式甲田療法で治療を行なっていました。
 取材では、総じて現代人は体に負担をかけるものを食べ過ぎて病気を招いているとうかがい、何を食べる・食べない(どのような暮らし方をするか)がどう健康に影響するか、その程度は人により異なり、一概に言えないものだからこそ、人それぞれ自立した健康づくりが必要だと教えられました。
 甲田先生の治療を受けたことをきっかけに、自分にとって必要な栄養、生き方を考えて、ほとんど「食べない」という選択をして闘病し、生活している人は現在もいらっしゃいます(こうしたケースはまだ取材をしていませんが、機会が得られれば取材をしたいと考えています)。
 このようなことも含めて考え、「どのように食べるのが幸いか」は現在健康な人(自分)も、今は「食べる」を支える側にいる人も、日々見直すべきことだと気づかされました。何らかの原因で、いずれ誰も「食べる」が難しくなるときは来ますが、そのときを待たず、ときどきの自分(家族)にふさわしい食を保つよう行動することが健やかに生きることだと感じ、反省もしています。

 次回は改めて、これまでの記事がどのような方々の参考になり得るか、タイプ分けを試みます。

[*]^ 食生活の見直し

 自分や家族が「どのように食べるのが幸いか」を考えた上で、まずは食欲の有無、空腹感の有無、摂食嚥下障害(こぼす、むせる、特定の食べ物を避ける、口の中にいつまでも残る、食事にかかる時間が長くなる、食後声がかすれる、ひどく痰がからむ等)の状態のチェックを。そして以下も症状の有無、改善できることがないか見直しを。

  • ・食べものに対する認知(見えない、味覚・嗅覚の障害、または認知機能低下が影響していないか)
  • ・生活・食事のリズム(規則正しい生活ができているか、朝昼晩の食事バランスは適切か)
  • ・消化・排泄のリズム(胃もたれ、便秘、下痢などがないか)
  • ・食事を用意する環境(食べ物を買いに行く、料理するなどが難しくなっていないか)
  • ・食べている物の形態(固い、口の中でばらけやすいなど、食べにくい物が多くないか)
  • ・食事の際の姿勢(テーブルの高さや背もたれの角度などが適切か)
  • ・食に対する考え方(栄養や食習慣に強いこだわりがあって極端に控えている食品などがないか)
  • ・楽しく食事できているか(孤食が続いている、精神疾患の影響などで食事に対して意欲を失っていないか)