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介護で幸せになる―介護ストレスを減らすヒント―

橋爪 智子 (はしづめ ともこ)

介護ストレスを感じている人たちが、明日からの介護に希望がもてるようなヒントを渡辺先生が送ります。

プロフィール渡辺 俊之 (わたなべ としゆき)

1959年群馬県で生まれ、介護家族のなかで育つ。高校時代に町医者の祖父を認知症で亡くしたことをきっかけに医師を志す。1986年に東海大学医学部を卒業後、精神科学教室で精神分析的精神療法と家族療法を学ぶ。
介護家族体験が忘れられず、いつの間にか介護家族のこころの問題に没頭する。2000年介護家族の心理的問題に関する研究で医学博士。同年より東海大学医学部附属病院にて、介護者・介護家族のこころのケアを始める。
現在、介護におけるこころのケアに関する講演やTVコメントを行っている。
日本家族研究・家族療法学会会長。高崎健康福祉大学健康福祉学部社会福祉学科教授・同大学院専攻科長/学科長。東海大学医学部非常勤教授。精神分析学会認定精神療法医、同認定スーパーバイザー。
藤村邦名義で執筆した「Afterglow-最後の輝き-」(文芸社)で、第51回(平成25年)群馬県文学賞(小説部門)を受賞。

ホームページ http://www.geocities.jp/watanaberoom/

第38回 介護うつになる時

 女優の小山明子さんは、介護うつになっていった体験を「パパはマイナス50 点」の中に詳細に書いています。精神科医は、うつの診断を外観、態度、生活パターン、精神症状など表に出ている所見から診断しますが、病状のためにうつの方本人の体験を聞く機会は案外少ないので、小山明子さんの記述は大変参考になります。

 小山さんが最初にうつ病になられたのは夫である大島渚監督が脳卒中になった直後です。大監督と大女優を襲った生活変化は、喪失体験を引き起こしました。それは名声、安定した生活、未来などすべてに及びます。小山さんは、未来が目の前で断ち切られた気がした、と述べています。眠れない日が続き、毎朝、鉛のように重たい体をベッドから引きはがすように起きあがる。何もできず、食欲もなくなり、倦怠感と無力感で立っていられない。そして死に場所を探してさまよいます。

 この状態は一度は改善します。しかし、その後、糖尿病の夫の食事管理がストレスになっていき、介護うつが再発します。何度か入退院を繰り返しながらも、精神科医との関わりの中で自分をみつめ、料理を作業療法に取り入れることで次第に自分を取り戻していきます。改善の過程を三寒四温と表現していますが、調子の波を持つうつ病の経過をとてもよく表していると思います。そして、大監督と大女優という関係から、優れた介護を介した普通の夫婦の関係へと自らを再生させるのです。

 介護うつが生ずる原因は、障害に伴う喪失体験と介護ストレスです。脳卒中や脊髄損傷など、急激な発病や事故などによる身体障害は、喪失体験が突然やってくるのが特徴で、その衝撃は大きいでしょう。認知症の介護の場合は、喪失体験よりも介護ストレスがうつの原因になることが多いような印象があります。


幸せへのヒント37
喪失体験と介護ストレスを乗り越え、うつを防ぎましょう