私はこうして合格しました!
国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。
第38回 森隆憲(もり・たかのり)さん
プロフィール
森隆憲(もり・たかのり)さん
平成16年度試験合格
関東学院大学文学部社会学科卒。東京都出身。高校時代、入院中の祖母を見舞ったときに遭遇した、リハビリテーションスタッフの祖母へのかかわりが印象的だった。笑顔で楽しそうで、冗談を言い合うような関係があった。こういうふうに人にかかわる仕事があるのだと知り、そのインパクトは当時理系に進学していた路線を見直すほど大きかった。福祉を明確に描いた大学受験は予期に反し失敗、2年目も福祉系学科に限って合格を手にできない不運に見舞われた。そこで経済学部に入学し、そこから社会福祉を学べる文学部へ転部。社会福祉士の資格取得を目指したが、大学在学時の取得は叶わず、卒業後は新規立ち上げの老人保健施設に支援相談員として就職。2年目に同法人の精神科病院に異動し、精神科ソーシャルワーカーへ。精神保健福祉の専門的基盤が不可欠と思い、職場からの期待・要請も加わって精神保健福祉士の資格取得を決意。2回目の挑戦となった2005年(平成16年度試験)に見事合格。その翌年に社会福祉士も取得。2008年、メンバーとスタッフが対等な立場でともに働く特定非営利活動法人ヒューマンケアクラブストライド・ストライドクラブ(東京都渋谷区)へ転職し、現在に至る。好きなものは、うなぎ、ヒューマン映画、ヒップホップ・ミュージック。きらいなものは、塩辛、ホラー映画。「日々違っていて、毎日がチャレンジ。いろいろあっても地域は可能性に満ちています」、フィールドを地域に移した手応えが表情ににじみ出る38歳。
受験の動機
精神保健福祉士の資格取得を考えるようになったのは、就職した法人で精神科病院のソーシャルワーカー職に異動してからです。それまではずっと、自分は社会福祉士を取るものと変に決めつけていたフシがあって、大学入学後に転部して社会福祉を専攻することになって以降、一貫していました。社会福祉士は、大学4年のときの国家試験から5年連続で受験して、ことごとく落ちていました。ちなみに、さまざまある福祉関係職のなかで相談職に就こうと考えたのは、家族にまつわる問題に関心があって、家族支援に携わりたいと思ったからです。大学では、ボランティアや現場研修を通して、高齢者や知的障害、ダウン症、聴覚障害など対象ごとの特性、違いも見るようにしていたのですが、精神障害については接点が薄く、そのぶん精神保健福祉士にも目が向きづらくなっていたようです。
精神保健福祉士の資格取得に心動かされた理由として、2002年に横浜で開催されたWPA(世界精神医学会)の第12回世界大会も大きな原動力になっています。病院の先輩と一緒に行ったのですが、ある演題に登壇されたさわ病院(大阪府豊中市)の澤温先生の話にあった、人を大事にみようとするあり方に胸打たれました。この一件は、このあとお伝えする受験勉強の話にもかかわってきます。
精神科のソーシャルワーカーには精神保健福祉士を取得してほしいという病院側の期待というか、プレッシャーもあり、異動した翌年に専門学校の短期養成課程(1年コース)に入学して受験しましたが、1回目は失敗。この翌年に再挑戦して合格しました。さらに翌年には、失敗を重ねてきた社会福祉士も取得し、長年の目標をようやく達成しました。
なかなか合格できずにいた私が2年連続で両資格を取得できたのは、一見同じようで、中身はずいぶん違っていた勉強のやり方に要因を見出せるように思います。私の経験がこれから受験される方のご参考になれば幸いです。
不振続きの原因はどこに
2001年に精神科病院に異動して、1年ほど勤務をするなかで精神保健福祉士の資格を意識するようになり、職場からもそれを期待されるようになり、精神科2年目の2002年に資格取得へ向けて動き出す流れでした。
WPAの世界大会で澤先生の話に感銘を受けたのは、先に挙げたとおりです。そして、このとき、澤先生が京都の専門学校で精神保健福祉士の養成課程で授業を担当されるとの情報がもたらされていました。ちょうど資格を取ろうと考えていた時期で、もちろん活動エリアの東京やその最寄りに通いやすい専門学校はあったのですが、澤先生の授業を受けてみたいと一念発起し、京都にある京都医療福祉専門学校に入学することにしました。相談業務の経験年数から実習は免除されていましたし、期間が集中しての実質5日間程度のスクーリングなら、遠征もそれほど大きな負担にはならないと思いました。
課題のレポートとスクーリングを無事に修め、2003年12月に受験資格を手中に。翌1月に国家試験を受けましたが合格は叶わず、目標の達成は翌年に持ち越されました。
学校の課題以外のことを何もやらなかったわけではありません。ワークブックや過去問といった受験対策書を求め、一通りの受験用の勉強は行ったつもりでした。しかし、報われませんでした。大学4年のときからチャレンジを続けてきた社会福祉士受験の不振も、いわゆる試験対策用の勉強をしてきての結果です。
では、何がいけなかったのか。精神保健福祉士受験の2回目のチャレンジで、それらは検証されることになりました。
「理解」を確かにする必要性に気づいた
受験勉強をそれなりに集中して取り組み始めたのは秋ごろだと思います。社会福祉士の国家試験を毎年受けていて、時期を問わずにずっとやっていたつもりではあったので、訊かれれば秋かなという感覚です。
勉強の内容は、過去問を解いて答え合わせをするという社会福祉士の受験で毎年やってきたことと表面上は同じでしたが、中身が違いました。実は、なかなか好結果を出せない私を見かねて、上司が勉強をみてくれることになりました。どんなふうに勉強しているのかから始まって、勉強したことがきちんと理解できているかの確認まで、細かなレベルでの指導です。
そのなかで明らかになったのは、自分がやってきた勉強の学習効果の低さでした。例えば、過去問を解いた後、あっているか間違っているかを答え合わせして、間違った問題の解説を読む。これは当たり前のことで、それによりその事柄に対する理解はなされるのがふつうです。しかし、そこには本当に理解したかという確認作業が伴っているはずで、その方法は人それぞれと思います。私はこの確認作業がおろそかでした。解説を読めば、ふうんとわかった気になりますが、では何がどのように間違っていて、どうすれば正答になるのか。それを説明してと言われたとき、自分がきちんと理解できていないことに気づかされました。まったく同じ問題が出されれば、次は解けるでしょう。しかし、国家試験でそれはありえません。問題集を見て、大事なところに赤線を引っ張ったり、重要な語句は覚えたりして、知識はそれなりに蓄えていたつもりでいましたが、それは理解した“つもり”に過ぎなかったのです。
上司にはこう言われました。本当に理解できているかどうかは、自分の言葉で説明できるかだと。なぜ間違っているかを説明できる、問題集の解説を見てそうだなと思うだけでなく、そのことを別の表現で言い表せる、その事柄の周辺知識もつかんでいる、そこまでできて初めて理解したといえるのだと。
仕事が終わった後にまとまった時間をとって教わることもありましたし、短い打ち合わせのなかで課題を出され、後日その報告を行うこともありました。週1回くらいの頻度でみていただき、12月から1月にかけてはより細やかにみていただきました。学習内容の具体的なところを教わるというより、勉強への取り組み方に目配りをして、効果が高まる方向へ導いていくかかわり方です。
試験攻略の「テクニック」を磨く
もう一つは、実際の試験をいかに攻略するか、そのテクニックを身に付けることでした。本試験と同じ時間を設定し、どの科目にどれくらいの時間を要するのか、どの分野が解きづらいのか、何が得点しやすいのかなどを意識して解いてみて、これをふまえて試験への臨み方を考えるというものです。
科目単位で意図的に時間配分して解く、苦手とわかっているところはあまり考えずに2点取れればよしとする、対して得意なところは必ず8点取る、という具合です。時間の配分と得点のイメージに加え、近年の出題傾向や問題形式のパターンも見て、どういうことが注目されているか、何が出そうかなどを意識するようにしました。
このトレーニングは、試験本番に向けて意識レベルで自分自身を整えていく効能もあったようです。受験に備えて直前ほど体調を崩さないようにするとか、飲み(お酒)のお誘いをほどほどにお断りするとかです。勉強の中身の面でも、試験に臨む気持ちの面でも、例年とは違っていることを実感していたと思います。
毎日の勉強時間は、正味1時間程度だったと思います。平日は仕事後に家で勉強しても、気づくとウトウトしていたり、疲れて集中できなかったりで、効率はどうしても最後まで上がりませんでした。学んだことを深めるための学習や時間を測っての問題解きなど、気力・体力を要する勉強は、休日に図書館に行って取り組んでいました。
2年連続で2資格に合格
試験の手応えは五分五分でした。専門科目は自信をもてましたが、共通科目が微妙でした。試験の後で、あれは間違ってたかなと気づく箇所などもあって、答え合わせをしてどちらにも(合格にも不合格にも)とれました。
合格を知ったときのうれしさはひとしおでした。インターネットでの結果発表を自宅で見て、やっととれたと涙が出ました。
この翌年の2006年に社会福祉士の試験も合格し、長年の目標をついに達成しました。これも勉強の方法を改めた成果だと思います。
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私はこの後、2008年に精神科病院を退職し、メンバーとスタッフが対等な立場でともに働き、ともに運営するクラブハウスに転職しました。前の職場で神奈川県の社会適応訓練事業にかかわったとき、病院を一歩外に出た患者さんの変化を目の当たりにした経験が地域での活動を志したきっかけになっています。
当面の目標は、8月29日から3日間の日程で開催する「アジアクラブハウス会議」を成功させることです。日本では今回が初の開催となり、韓国や中国、インド、スリランカなどから約70名の参加も予定されています。多くの方に来ていただいて、メンバーといっしょにやっていくクラブハウスモデルのおもしろさにふれていただけたらと思います。