私はこうして合格しました!
国家試験を突破して精神保健福祉士の資格を取得した合格者の皆さんに、合格までの道のりをご紹介いただきます。効果的な勉強法や忙しいなかでの時間のつくり方、実際に資格を手にして思うことなど、受験者が参考にしたい話が満載です。
第49回 菊池恵未(きくち・めぐみ)さん
プロフィール
菊池恵未(きくち・めぐみ)さん
平成23年度試験合格
東京学芸大学教育学部卒。宮城県出身。小中学校時代、当時の社会問題からドラマ化された『ストーカー・誘う女』や、映画からテレビドラマへ展開した『催眠』など、“心理”をテーマにした作品にさまざまふれるなかで、人の心に興味を持ったのが一つ。同じく小中学校時代、隣の席になったこともある男の子が「ADHD」という、当時は一般の認知度も低い未知の単語で教師から暴言にも近い叱責を受けるのを見て、発達や心理、障害に興味を持ったのが一つ。その目を持つと、身近なところに学習障害や不登校の子がいたことが見えてきた。「心理学を学びたい」の一念から進学を考え、大学は教育学部のカウンセリング専攻に入学。臨床心理士を目指すことを考えた時期もあったが、学びを進めるなか、自分のやりたいことはもっと生活に密着したところでの実際的な支援であると気づいた。選び取ったのは、大学の4年間は心理学を学ぶことに専念し、一般企業そして医療福祉の現場にも身をおきながら精神保健福祉士を目指す道。卒業後は営業事務を半年弱、転職して病院の医療補助を2年間勤め、この間に精神保健福祉士の資格を取得した。平成23年度試験に合格し、同年(平成24年)4月に特定非営利活動法人NPOあおぞら(東京都豊島区)に入職。当事者の地域生活にかかわるソーシャルワーカーとして4年目を邁進している。趣味はカラオケで、お気に入りは「globe」や「SPEED」など1990年代の曲目。好きなものは、かわいい色(パステル調)の洋服や小物。きらいなことは、不誠実なこと。「ソーシャルワーカーは、人が好きと感じている人なら絶対楽しい仕事だと思います」。まっすぐな視線に誠実さがあらわれる28歳。
受験の動機
プロフィールに紹介いただいているADHDの同級生は、たまたま席が隣になったこともあって、叩かれたり蹴られたりと、その男の子とお母さんがうちに謝りに来るくらいでしたが、ずっと一緒なものですから中学生くらいになると仲良くもなって、弟さんの面倒見がよかったりとか、話してみると本当にいい人だったんです。でも、授業中になると手が出てしまったりする。人ってそれぞれ違うんだなと徐々に認識するようになって、そういう子はどういう気持ちで学校に来ているんだろう、ふだんどんな気持ちで過ごしているんだろうと、人の心について知りたいと思うようになったのが、そもそもの出発点です。
心理学部のある大学への進学を考える段になって、将来の職業も意識しました。当時は自分も高校生ですから、自然と下の世代に目が行き、つらい気持ちを抱えている子どもや虐待のある家庭に何かできることがあればと思い、そこと結びついたのが児童福祉司でした。児童福祉司は公務員なので、どの学部に入っても目指す道はあると思い、とにかく心理学を学べるところ、それもどちらかというと教育系の、先々は児童相談所の児童福祉司をイメージできるような環境で学びたいと考えて大学を選びました。
精神保健福祉士を目指そうと意識したのは、大学3年の頃です。大学院は自らに研究テーマがあり、その研究を通して社会への貢献を志す人が行くところと思っていましたので、自分がやりたいこととは少しずれがありました。そうして考えているうちに浮上したのが精神保健福祉士でした。卒業まではしっかり心理学を勉強して、それから専門学校に通い直そうと。
卒業後、はじめに一般企業に就職したのは、いきなり福祉職を目指して進むより、社会で働くことを経験する必要のようなものを感じてのことでしたが、勤め始めて早々、これでは時間がもったいないと思い、ソーシャルワーカーになるなら、まずは医療の現場に身を置いてみて、人とかかわる仕事を実際に見てみよう、経験してみようと考えました。幸いにも医療補助の求人を出していた総合病院が見つかり、そこに勤めながら、通信課程で精神保健福祉士の資格を目指すことに決めたというのが、資格試験のチャレンジへと臨むまでの経緯です。
受験勉強に取り組み始めたのは、国家試験前年の10月頃でしたから、ちょうど今くらいの時期です。特別なことはしていませんが、私の経験が皆さんの勉強にとって一つでもお役に立てればうれしいです。
二年制の専門学校に入学
私の場合、精神保健福祉士の資格を目指しながら同時に、とにかく現場のことを知ってみたいという気持ちが大きかったので、2つを両立する方法として、病院に勤めながら2年間の通信課程で学ぶ道を選びました。学校は、東京の高田馬場にある日本福祉教育専門学校です。通信課程の期間は正確には1年7カ月でしたので、病院勤務の契約期間も同じ1年7カ月として、課程の修了+勤務の終了と同時期から本格的な受験勉強が始められるように、はじめに計画しました。
その1年7か月間は、課題のレポートとスクーリングをこなすのがやっとでした。働きながら勉強するのは、時間の面でも体力の面でも難しいことで、それはこのコーナーに登場されているほかの方々のコメントにも表れているとおりです。レポートは教科書を読まないと書けないので、読んで理解する勉強は努めてするようにし、電車の中とかカフェとか公園のベンチとか、ふだんなら小説などを読んでいる時間に、手にしているのが教科書という過ごし方でした。今日はモチベーションが上がらないなと思ったら、知識のある心理学や読みやすい事例のところを選んだり、集中力があるときは制度や歴史を読み込んだりと、工夫をしながら目にふれる機会だけはつくるようにしていました。
選んだのは、薄くてすべてがまとまった本
専門学校を卒業して、病院勤務のほうも当初の予定どおり退職して、受験勉強を本格的に始めたのが10月です。教材として最も使い込んだのは、久美の『精神保健福祉士国家試験やるぞ750問!速習チェック問題集 専門5科目』でした。今、このタイトルの本は出版されていないようです。私が受験した年は、精神保健福祉士の専門科目が5科目だった最後の年度で、この本は5科目分の要点がコンパクトにまとまっていました。大学受験のときもそうでしたが、薄くて全教科がまとまっているものをくり返し解いて、全問正解するまで解くというのが自分にいちばん合っていると感じていたので、その意味でこの本はぴったりでした。
共通科目は、専門学校の教科書指定にもなっていた中央法規出版の『社会福祉士・精神保健福祉士国家試験受験ワークブック(共通科目編)』を重宝しました。分厚い教科単位の教科書を読みこなしていく時間はなさそうでしたので、重要な事柄はここから押さえるようにしました。
あとは過去問です。中央法規出版の『精神保健福祉士国家試験過去問解説集』に載っている3年分をくり返し解き、間違えた問題はワークブックや教科書で正しい内容を確認し、再び解くという反復学習です。過去問は、試験センターのホームページから古い問題もダウンロードできるので、法改正などで内容が変更されている箇所に気をつけながら、とりわけ共通科目についてはできるだけ多くの問題を解くように努めました。
短期決戦、中身の濃さで整えた
実質的に4カ月の勉強期間で、どれだけやっても自信をもてるまでにはなりませんでしたが、年末の時点で今までやった問題はなんとか全部解けるくらいの状態にはなっていたので、大丈夫かなと思えるようにはなっていました。この間はみっちり勉強をやれた手応えがありました。時間数としては一日6時間くらいでしょうか。集中力を発揮できて、通常の生活リズムにも影響しないレベルというと、だいたいこれくらいの時間になると思います。
試験勉強の後半は、模擬問題集や学校で先生が配ってくれる予想問題のプリントも解いてみて、ある程度は準備が整った実感を持てました。もともと勉強は好きなほうで、試験もどちらかというと得意なことも、順調に取り組めた要因になっていたかもしれません。
合格の手応えを得て、就職活動へ
試験を受けた手応えはまずまずで、自己採点もしてみて、落ちてはいないと思いました。専門科目は合計得点を稼げたようで、共通科目もそれなりにできていました。これなら安全圏と思い、そこから就職活動を始めたという流れです。
就職先については、精神保健福祉士を志望した当初から“地域”を描いていて、できるだけ生活に身近なところで、そしてできれば多機能型の機関で働きたいと考えていました。実習先も、就労の継続支援B型と移行支援、地活のII型でした。幸運なことに、求人情報から早々に目にした法人が自分の希望にぴったり合っていて、迷うことなく応募しました。今、私が働いているNPOあおぞらです。
人生が変わる瞬間に立ち会える仕事
精神保健福祉士、ソーシャルワーカーとして仕事を始めて4年半になります。この仕事の魅力は?と訊かれたら、「人の人生が変わる瞬間に立ち会えること」と、第一に私はそう答えると思います。作業所での何かが転機となって生きがいを見つけられたり、ずっと施設にいた方が就職しようかという瞬間を迎えたり、そんな、今からこの人はスタートするんだという場面に立ち会えることは、この仕事の醍醐味だと思います。難しい仕事だとか、自分にできるだろうかとか、昔の私が感じていたように思っている方がいるかもしれませんが、精神保健福祉士はやりがいも楽しさもある仕事です。関門の国家試験を乗り越えられるよう、がんばってください。応援しています。