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介護福祉士のしごと体験記

介護福祉士を取得し、これから新たに働くという方、もう働いているけれども有資格者として新たな1歩を踏み出すという方。
それぞれにいろいろな不安があると思います。


そこで、みなさんよりも一足早く介護福祉士になられて現場で活躍されている/キャリアアップされた方々にお話を伺いました。
ここでのお話を参考に、新たな職場・キャリアでのイメージを膨らまし、不安解消に役立てていただければと思います!


介護福祉士としてリーダーに就いて良かったこと

 第2回は介護リーダーとして小規模多機能型居宅介護の事業所で活躍している金坪由幸さんにお話を伺いました。介護福祉士資格を取り、リーダーを任される方は必見です。

 第1回の特別養護老人ホームで利用者さんとの「信頼関係」を上手に築く梅田さんの記事はこちら

金坪由幸さん

介護のしごとを選んだきっかけ

 介護の仕事に従事して、まもなく17年目を迎えます。
 私がこの職業を選んだきっかけはとても不純なもので、当時所属していた草野球チームの試合に1試合でも多く出たかったというもの。

 試合の多くが日曜、祝日開催であったため、学生時代から「野球こそ人生」だった私にとって、カレンダー通りに営業しているデイサービスはおあつらえ向きの就職口でした。
 就職後もその考え方は揺るがず、時には勤務中に職場を抜け出し球場に車を走らせたことさえありました。

結婚を転機に仕事に励み、主任を任されるように

 そんなライフワークバランスに変化が生じ始めたのが、就職5年目の7月。
 就職と時を同じくして交際が始まった現在の妻との結婚が大きな転機となりました。
 同学年・同業者であった妻は、歴史・規模ともに県内でも指折りの実績を誇る社会福祉法人で、既に現場責任者の一翼を担う仕事の虫。

 社会性も収入も私のずっと先を行くいわば「逆格差婚カップル」でしたが、妻はこの当時、体調を崩しがちだったこともあり、私は男たるもの「俺が養ってやる!」とばかりに一念発起。妻も晴れて寿 退社と相成りました。青年金坪25歳の夏でした。

 結婚後は目の色を変えて仕事に励み、法人内で新規立ち上げとなったデイサービスの主任を任せてもらえることになりました。
 介護の仕事の魅力に気づき始めた当時の私は、「自分が理想とするケアができる!」と、この話に飛びつき、意気揚々と仕事にのめり込んでいきました。

新任リーダーとしての苦悩

 出足は順調に見えていた主任業務でしたが、立場上その業務内容の多様さ、複雑さ、責任の重さに追いつかなくなり、ついには現場でご利用者に対し、大きな事故を起こしてしまいました。
 幸い当時の上司、スタッフらのフォローで大事には至りませんでしたが、自滅するように追い込まれ、結果的に退職。

 しばらくの休養を挟み、気持ちを着切り替えるべく一旦県外の特別養護老人ホームでの勤務を経て、現在の職場である社会福祉法人へご縁を頂きました。
 余談ですがこの法人こそが以前妻がお世話になっていた職場でもあり、妻の恩返しの想いも含めて再就職に至りました。

 再就職後3年目、かねてから興味を持っていた小規模多機能型居宅介護事業所へ配属されることが決まり、現場のサブリーダー兼計画作成担当として現在に至ります。

金坪さんの所属する事業所 為楽庵

利用者の生活に「線」でかかわる

 ご承知の通り小規模多機能型事業所は、地域に寄り添いながら「通い」「訪問」「宿泊」サービスを同一事業所・同一職員が24時間包括的に提供する三位一体型の事業所です。

 それゆえにご利用者お一人お一人の多様な生活、背景をいかに深く理解できるかが支援の鍵となる、「点」ではなく「線」でのかかわりが求められるサービスと言えるのではないしょうか。

 私がご利用者の生活に「線」でかかわる大切さを知るうえで、思い出深いエピソードがあります。

 私たちの事業所では、可能な限り在宅でのお看取りに至るまでご利用者のケアに携わられて頂きます。
 入院先の病院や、施設で最期を迎えられる方が多い現代社会において、在宅での看取りケアはご本人、ご家族にとってとても勇気ある決断であると言えます。
 その想いに出来るだけ寄り添い、多職種連携のもとお看取りに立ち会わせて頂けることは、この仕事に就く者として大きな財産となっています。

 その中のお一人。ある女性利用者のお通夜に参列した際に、祭壇を見上げてハッとした経験があります。
 祭壇に飾られていた遺影が、その方が事業所をご利用中、私自身が撮影しプレゼントした写真だったのです。
 ご遺族からは、「晩年、自宅ではほとんど笑うことが無かった母の一番の笑顔を引き出してくださいました。」というお言葉を掛けて頂き、言葉にできなかった思い出があります。

 その人の「人となり」を象徴するとも言える遺影に、私たちの事業所で過ごした時間の写真を使って頂けたことは、不謹慎な表現かもしれませんが、この上なく光栄なことでした。
 このときの経験から、人の生とは「その人」だけのものではない。同じ時間を共有する多くの人に、沢山の影響を与えてくれるものだと感じました。

私を支える二つのことば

 私が、リーダー職について学んだことは数え切れませんが、今日の私の支えになっている教訓が二つ。いずれもかつての上司から頂いた教えです。

 一つ目「リーダーとは、自分の代わりとなる人財をいかに多く育てられるか」

 二つ目「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

 というものです。
 リーダー職に就いた当時の私は、知識やスキルの研鑚ばかりに囚われた「技術屋介護職」でした。
 人の生活を支援する職業でありながら、人の扱い方の技術しか見えていなかったのです。

 スタッフの個々の感覚で提供されるケアを良しとせず、根拠や文献を盾に周囲に詰め寄りがちだった私は、当然仲間からの信頼を失い、孤立していきました。
 ご利用者の生活を支援していく上で、年配職員の人生経験や主婦層の方々の生活の知恵は、欠かすことのできない戦力です。この業界は日々多くの女性、年配職員の方々のご活躍により支えられています。
 その存在の大きさに気づけなかった私に、上司がきついお灸と合わせて据えてくれたのが、この二つの教えでした。

 「リーダーとは、自分の代わりとなる人財をいかに多く育てられるか」

 仕事とは自分一人で出来るものではなく、自分が不在の時にも現場を支えてくれている人達のおかげで成り立っている。
 たとえ正論であったとしても自分一人の考えを押し付けたり、仲間の考えに耳を傾けられない人間にいったい誰が協力してくれようか。
 互いの考え方を共有しつつ、それぞれの持ち味を高め合える現場を作っていくこともリーダーの大切な役割であること。
 そして、知識や技術は自己の研鑚と根拠に基づき発信することはできるが、ご利用者も職員も、十人十色の人間模様の中で生きているこの社会では、人から教わることは尽きることがない。

 「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」

 知識や技術を持つ者ほど謙虚な構えで、人に教えを請う姿勢を忘れてはならないことを教わりました。今後の仕事上でも人生においても、私にとっては変わることのない道しるべとなっています。

今、自分たちに出来ることにベストを尽くす

 最後に今、私たちの目の前には多くの課題が立ちはだかっています。
 目前に迫る「2024年問題」。その先に待つ「2040年問題」。さらに追い打ちをかけるかのような新型コロナウイルスの猛威。

 この災禍から失ったものは多々あれど、学び得たものも多いはず。
 いつか「あの経験があったから」と、笑い話に出来るように、今・自分達にできることにベストを尽くさねばならないと感じています。

 既存の介護保険サービスが続いていく限り、いずれ自分や自分の大切な人がサービスを受ける側となったとき、今・目の前で自分が積み重ねてきたケアが、そっくりそのまま返ってくると私は考えています。
 そのときに、介護職をはじめとする専門職の皆さんと、どんな向き合い方が出来ているか。
 そして、後に続く後輩たちにとってあのとき、私という人間はどんな姿勢を示したか。これからこの仕事に就く仲間たちが道に迷うことがあったとき、少しでもヒントになる仕事が出来れば幸いです。

社会福祉法人 自生園
小規模多機能型居宅介護事業所 為楽庵
計画作成担当 金坪 由幸
(所属・肩書は取材当時のものです)