当事者一人ひとりの体験にひとみを凝らす
そこから見えてくる世界
「精神疾患」と聞いただけである種の偏見を抱く。それが“一般”といわれる社会に暮らす人々の“一般”的な感覚です。それが何から起こってくるかといえば、「よくわからない」という、それなら偏見(偏った見方)を持って当たり前じゃないと誰もが思うことに行き着きます。だったら、よくわからない状態はわかるようにしていったほうがいい。それが本書の根っこに流れているコンセプトです。
統合失調症という病気は、原因不明(=よくわからない)といわれています。疾患研究が進み、いくつかの説が発症に何が関係しているかを示しつつも、原因としては明らかにされていません。その原因を焦点として、統合失調症の発症事例を26人の当事者の手記によりまとめたものが本書です。それぞれの発症のトリガー(引き金)となった出来事を、過労やいじめ、家族関係などテーマで分類し、内容面ではとりわけ、発症へと至る前後の時期に当人の内面に何が起こっていたかに光を当てました。
このことを趣旨とした理由は、専門家ですら「よくわからない」状況を変えていく一つとして、当事者一人ひとりの体験にひとみを凝らし、苦しい渦中にいたその人を想像するなかで、統合失調症という病気に対する社会の理解が進んでいく、進んでほしいと考えたからです。
協力いただく執筆者探しには相応の時間を要しました。まずはと、携帯電話でのやりとりのある60人くらいの当事者に声をかけていき、このなかで執筆協力を得られたのは8名でした。お久しぶりです、お元気ですか、ところでと持ち掛けていって成立したのが8名、この企画が動き出した後、お会いしたその場でこの人ならとスカウトしたのが2名、紹介を受けて協力内容を説明し、お引き受けいただいたのが7名、それと本書の出発点となったマンガ原稿を寄せてくださった最初の1名で計26人です。声をおかけした総数は130人を超えました。執筆依頼で諾否の確率がこの低さにとどまることは通常ありません。そもそも担当編集者がお誘い上手です(本当)。
辞退された方に多くの点で共通していたのは、自分がいちばん苦しかったときのことを思い出して書くという行為への嫌悪や抵抗でした。当時のことはよく覚えていない、忘れたという声もありました。記憶から消せてよかったと言った方もいました。
ひるがえって、精神科医療では、発症前後の状況やそこに至る経緯を患者から根掘り葉掘り聞き出そうとしてはならないとされています。治療の予後に影響するためです。風邪をひいたとき、いつからどんなふうに状態が悪くなっていったかを医師から聞かれるのとは大違いです。
その点からもチャレンジングな企画でした。編著者を務めていただいた精神科医の佐竹直子氏(国立精神・神経医療研究センター病院)には、協力者へ依頼する予定の内容を伝え、企画の適否も考えて執筆体制を作り上げていくことを確認し合いました。
佐竹氏については、精神障害者の権利擁護をテーマにしたイベントで初めてお会いしたときのお話から、こういう本を作るときが来たら必ず声をおかけすると決めていました。なにゆえかは、本書を読んでみてなるほどと思っていただくとしましょう。
統合失調症が疾患管理の観点から、発症前からの生活史に踏み込んでいきづらい病気であるのだとしたら、クライエントを理解する術としてそこに着手したいと考えている意識の高い専門職には、その意識と同じくらい「生活史を聞く」ことが高いハードルになっているかもしれません。実際、本書の執筆者のなかにも、「体験発表はけっこうやってるけど、ここに書いたことは話したことがない。きつかった」と言われた方がいました。
本書はそんな専門職の隠れたニーズにも気づきをもたらしてくれるはずです。ゆっくり時間をかけて、いろいろ想像しながら読み進めていただけたら編集者冥利に尽きます。
(第1編集部編集第2課 柳川正賢)