第45回 (最終回) "45" エースのジョーが現れるまで、もう少しの辛抱さ・・・
父が、自分が出演した中で、一番好きな作品が『拳銃は俺のパスポート』('67年、日活)だそうです。
そして、ガンの中でも45口径の話をよくしていました。
父は今年で芸能生活57年目になります。
普通、10周年とか、50周年という節目に記念パーティーを皆さんやられますが、何せ、「オレはB級俳優だ!!」とか、アウトローな父なので、普通では面白くないと思い、私はコルト45口径にちなんで、以前、45周年パーティーの企画を立てました。会費やら、何から何まで "45"に拘りました。いろいろと迷惑をかけてきた父に何とか喜んでもらおうと考えたのでした。
しかし、マネージャーとして、まだまだ未熟な私でしたので、母にも手伝ってもらい、まず、石原プロモーションにお願いに行きました。
石原プロモーションの小林専務は、「頑張りなさい!! 何でも協力するから!」と、言って下さいました。
招待リストやら、全て、私と事務所のスタッフの手作りパーティーですが、何とか芸能界の皆様のご協力により、無事、開催することが出来ました。
パーティーは、まず、普通では父らしさが出ないと思い、『元祖 どっきりカメラ』のMCでもあった父でしたので、このパーティーは父に内緒にしよう。つまり、"どっきり"にしようと・・・
なるべく、開催まで仕事を入れたくなかったのですが、そうもいきません。
招待状にも "このパーティーは本人に内緒です。決して本人に当日まで言わないで下さい"と記載しましたが、「錠さんおめでとう」等、言ってしまう方もいて、こちらはヒヤヒヤ・・・
まあ、何とかごまかし、当日は、「石原プロ関係のパーティーに、是非、錠さん来てくれませんか!!」と、小林専務に名演技をして頂き、「マスコミが多いから裏口から入ろう、錠さん」と、父を誘導して頂きました。
何も知らない父は、小林専務とパーティー会場へ。普通に会場の扉を開け、入って来ました。
会場には、沢山の芸能関係の方々が集まって下さいました。
皆の「おめでとう!!」、「錠さん、おめでとう!!」という声援とフラッシュの道を、父は汗と、涙を一杯流しながら壇上まで歩いて行きました。
少し、親孝行が出来たかなと、私の頬にも一筋の涙がつたいました。
そんな訳で、私にとって "45" というのは、とても意味のある数字なのです。ですから、この一年間、連載させて頂いたエッセイも第45回で終わりにしたいとお願いしました。
今まで、パパとママの意味のP&Mというプロダクションをやっていましたが、去年、母が他界したことで、皆、自立し、私は新たに父と一緒に宍戸錠事務所を立ち上げました。
私は、ずっと、結婚したら子供を作り、子供時代に味わうことの出来なかった、『普通の家族』をやってみたいと、夢見ていました。しかし、自身の病により実現することが出来ず、今、父にとっての孫、私の子供はチワワのケニーとクール。そして、"宍戸錠事務所"が、大切な孫であり、子供なのです。これからも父と協力し、大事に育てて行こうと思っております。
そして、来年は日活100周年。これから、アメリカを皮切りに海外での日活のイベントがスタートします。
まだまだ、宍戸錠には頑張ってもらわなくてはなりません。
『エッセイスト・しえの好奇好齢者俳優・宍戸錠レポート』の読者の皆様、私の拙いエッセイを読んで頂き、ありがとうございました。そして、このような機会を与えて下さった中央法規出版の皆様にも感謝しております。
これからも、エッセイストとして、マネージャーとして、ますます頑張っていこうと思っております。
『チッ チッ チッ!! オレはまだまだ くたばらないゼ!! 3つ数えて待ってろ エースのジョーが現れるまで・・・』
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