第43回 お誕生日
私ごとですが、昨日、8月21日は、私の誕生日でした。
幼い頃のバースデー・パーティーの記憶はあまりありません。何故なら入退院を繰り返していたからです。
しかし、中学、高校と、忙しい父が何故か私の誕生日には現れたのです。母は一人旅をしたりと、その頃はあまり一緒にお祝いをしませんでした。
私は小さい頃からイベント企画を立てるのが好きで、自身のバースデー・パーティーは勿論のこと、クリスマスや忘年会、新年会等は、必ず企画していました。
だいたい、ホーム・パーティーが多く、ある時は実家の応接間のカーテンを閉め、暗くして、父が買ってきたカチカチと音のするストロボを照明にし、DJのように曲を繋いだカセットテープを作り、ディスコ・パーティーを催したりしました。そして、本格的に、入場場所、クローク等を設け、お友達の荷物を預かり、預札を渡したり、司会・進行も務めました。
それは、中学生の時、父にディスコに連れて行かれ、その記憶を辿って再現したのです・・・
そして、パーティーの後半に父は現れ、ジャンケンゲームを始めるのです。二階から登場し、大きな声で「それぞれ、パートナーを見つけてジャンケンをしろ! 勝ったヤツに取っておきのプレゼントがあるぞー!」
そして、応接間のセンターに立ち、「いいか!! ジャン ケン ポン!! 」と、仕切り、私の司会の座を奪っていくのです。(笑)
さんざん飲んで、話して、気が付いたら、皆の前から姿を消し、いつの間にか自分の部屋に戻り、とっておきのプレゼントは何処へやら・・・
私がお酒を飲めるような年頃になった時は、お庭でバーべQパーティーをしてくれました。レンガを積み上げ、網を引き、バーべQソースは前日から作りと下ごしらえもプロ級です。
出来上がったお肉は手掴みで、皆にどんどん配り、お腹一杯になっても、「いいから食え!!」と、宍戸錠から渡された友達は食べるしかありません。(笑)
そして、いつものように、飲みながら作っている父は、気が付いたら自分の部屋に消えてしまうのです。
宍戸錠が退場して、ホッとした私達は急に酔いが回り、だらけていきます。そこへグッド・タイミングで、三階へ繋がるバルコニーから、「ちゃんと片付けていけよ!!」と、大きな声で・・・
酔っていた友達は、直立不動になり、大きな声で皆揃って、「はい!! ご馳走様でした!!」と・・・
そして、また、「よ-し!!」と言って、部屋へと姿を消します。
それから父とバースデー・パーティーはやることが無くなりました。が、最近、宍戸錠事務所を始めてから、また、毎年、バースデー・パーティーをやってくれるようになりました。去年は事務所の皆と集まり、ローストビーフを焼いてくれました。
今年は震災のこともあり、こじんまりやろうと、父と私達夫婦でお食事に行きました。
私が生まれた時、父は、勿論、仕事で立ち会えませんでした。
お祖母ちゃまと叔母さまが、家まで母と私を連れて行ってくれたそうです。
そして、暫くして、父は柳瀬観監督作品『虎の子作戦』(宍戸錠主演、’63年日活)の沼津のロケから戻り、私に初めて会いました。
そう。初めて私が父に会ってから、48年の月日が経ちました。
もうすぐ、私も人生の折り返し地点に到達します。
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