第36回 ろくでなしな野郎たちが、一番モテテいた
「りーくんパパが、そっちに行かれるから・・・」と、母から連絡がありました。
当時、私が留学していたベルギー・ブリュッセルにドラマのロケで二谷英明さんがいらっしゃり、二谷さんの宿泊されていたホテルへ、私は訪ねて行きました。
ホテルのお部屋で、二谷さんと昔話に花が咲き、「リーは、まだまだ子供だよ・・・シーくんは偉いね。一人で留学していて・・・」等と、言われたこともありました。
でも、あっという間に追い抜かれてしまいました。
間もなく、二谷英明さんのお嬢さん、二谷友里恵さんはご結婚なされ、父と母と私でお祝いに・・・その後も、お母様になられ、二谷さんはおじい様に・・・
二谷さん一家とは、父と母が結婚して、私が三歳になるまでご近所付き合いをしていました。その後も、父は職場でも一緒でしたし、山中湖にある通称“日活村”の別荘でも隣同士でしたので、夏の時間をともにしたり・・・
毎年、行われる“日活仲間の会”
ここ最近、父と一緒に参加させて頂いておりますが、二谷さんとはお会いしておりません。
体調を崩されて、静養されていらっしゃるようですが、お父様思いのリーくんは、CMで二谷さんの映像を流していらっしゃるようです。ですので、よく、テレビでは、お見かけしております。
二谷英明さんはアナウンサーを経て、日活に入社し、3期生です。『沖縄の民』(‘56年、古川卓巳監督)でデビューされ、『ろくでなし野郎』(‘61年、松尾昭典監督)で初主演し、『ろくでなし稼業』(‘61年、斎藤武市監督)、『用心棒稼業』(’61年、舛田利雄監督)、『みな殺しの拳銃』(’67年、長谷部安春監督)等で父と共演しています。そして、“ダンプガイ”の愛称でニューダイヤモンドラインのメンバーです。
この間、取材で父は、「よく遊んだよ」
「アイツとオレが一番、モテたかな」
と、リーくんパパの話をしました。
梅雨でジメジメしている午後、ビールのジョッキを強く握り締めた父が、ポツリと呟きました。
「エーメーさん(皆さん、二谷さんのことをそう呼ばれます)に、会いに行ってやらないとな~」
『ろくでなし稼業』(VHSジャケット)
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