第36回 ろくでなしな野郎たちが、一番モテテいた
「りーくんパパが、そっちに行かれるから・・・」と、母から連絡がありました。
当時、私が留学していたベルギー・ブリュッセルにドラマのロケで二谷英明さんがいらっしゃり、二谷さんの宿泊されていたホテルへ、私は訪ねて行きました。
ホテルのお部屋で、二谷さんと昔話に花が咲き、「リーは、まだまだ子供だよ・・・シーくんは偉いね。一人で留学していて・・・」等と、言われたこともありました。
でも、あっという間に追い抜かれてしまいました。
間もなく、二谷英明さんのお嬢さん、二谷友里恵さんはご結婚なされ、父と母と私でお祝いに・・・その後も、お母様になられ、二谷さんはおじい様に・・・
二谷さん一家とは、父と母が結婚して、私が三歳になるまでご近所付き合いをしていました。その後も、父は職場でも一緒でしたし、山中湖にある通称“日活村”の別荘でも隣同士でしたので、夏の時間をともにしたり・・・
第35回 ライオンキング 矢作俊彦さんの出版記念パーティーへ
「とまどうペリカン」井上陽水。
(歌詞=Yahoo JAPAN 「Music」参照)
ある、作家が母に「あなたにぴったりの曲です」と、プレゼントしてくれた1枚です。
第34回 鈴木清順監督にオファーを
この間、父と都心に出掛けた際、通りがかった一軒のお店。そこは、黒澤明監督の息子さんが、プロデュースされているお店でした。
父も私も大人になった(年をとったとは言わず)のか、さっぱりと、父はおろし蕎麦、私はとろろ蕎麦を頂きました。
お店には、黒澤明監督の撮影風景の写真が飾られていました。
そんな黒澤監督の写真を見ながら、日活のスタッフから受けた、企画の説明を私は父に話し始めました。
第33回 日活撮影所
幼い頃、母に連れられて、よく行ったそうです。
ここは、遊園地よりも面白い場所だったような記憶が、微かに・・・
ですから、ここで出会った俳優さんやスタッフさんは、父が「娘のしえだよ」と紹介すると、床から50cmぐらいの所を指して、
「こんなんだったのに・・・」
「ホントにしえちゃんなの?!」
と、皆さんそうおっしゃいます。
「日活撮影所」
父はこの撮影所のことを「工場」(スタジオ)と言います。つまり、映画工場です。
そして、この撮影所に一期生として入り、暫くの間、男優室にいたそうです。
男優室とは、大部屋のことで、日活では男優室、女優室と呼んでいたそうです。
撮影所の中央あたりに位置するところに、食堂があります。皆、ここで、待機し、出番をまったり、おしゃべりしたり、チャンユー(石原裕次郎さん)専用のビールクーラーボックスが置いてあったり・・・
「皆、ここでよく飲んだんだよ」と、父。
撮影が終わると、自然と皆集まり、チャンユーの「この指、止まれ」の一声で、皆で銀座に繰り出したとか・・・
当時の話を聞いていると、まるで大学のキャンパスのようだったのだろうなと思います。
勉強(撮影)しながらも、放課後のことが気になり、早く終わらないかとソワソワし、カットがかかると飲みに行く・・・
皆さん、キャンパス(撮影所)ライフを満喫していたようです。
その証拠に、日活のどの作品を観ても、仲間で作った映画。友情がフィルムから伝わってきます。
現在は、撮影所は当時の3分の1ぐらいの敷地になり、高層マンションが迫ってきています。
しかし、食堂は当時のまま残っています。
古く味のある食堂に、撮影や取材で時々訪れると、昔からいるおねえさん(?)は、何も注文も聞かずに、「あら、ジョーさん」と言って、ビールを父に差し出します。
「グイッ」と、一杯、ビールを飲む父。
ここは父にとって、第二の故郷のような場所なのだろう。
「もう一杯」と、ビールを頼む父。
壊れそうな食堂の窓から、フィルムの香が流れ込んできました。
『シシド ― 小説・日活撮影所』宍戸錠=著 (2001年、新潮社刊)
朝日新聞 6月11日(土)付掲載予定
「そこにスターがいた~東京撮影所物語」日活編 宍戸錠インタビュー