第31回 宮城県の仲間達
宮城県の復興は、まだまだ時間がかかります。
父は宮城県に疎開していました。
小学校、中学校、高校と白石という町で過ごしました。
現在、父は77歳。喜寿ですが、去年まで宮城県の仲間たちとの同窓会は続いていました。
その同窓会は毎年、いろいろな場所で集まり、後半は、海外にも旅行に行ったりしていました。オーストラリア、マレーシア、上海と・・・
宮城県の仲間達からは、「ジョッチャン」と、少し訛った音で呼ばれる父。そこにはエースのジョーの姿はありません。
小さい時から、ガキ大将で、リーダー的存在だった父は、今でも皆のリーダーです。そして、そのリーダーは一人、高校を出て、上京しました。
上京した父は、大学に通いながら下宿先で、マージャンをしながら、新しい仲間達と夢を語り合ったそうです。
「演劇、映画を志した当時の若者達が、自然に仲間意識を持って、集合したのは、WHAT? WHY? 何故かそういう運命的な出逢いを持っていたのは、誰かが? そうしたのか? オレには判らない」と、父は言います。
その青年達は、菅原文太さん、浅利慶太さん、金森馨さん等、今、考えれば、そうそうたるメンバー。
その中で父は日活俳優に。菅原文太さんは劇団四季に入団。その後、新東宝へ。
宮城県から上京してきた青年達の夢は叶いました。
それから20年の歳月を経て、菅原文太さんと宍戸錠は深作欣二監督作品「仁義なき戦い」で、共演することになりました。
六本木ヒルズの中のホテルで、お洒落なビジネスマン達がお茶を飲んでいます。
グラスを父に渡すウエイトレス。続いて、ビールを注ぐウエイトレス。本日は取材でここを訪れました。
2本目のビールに差し掛かった頃、父は取材内容の役柄に入り込み、台詞を言いながら再現します。ラウンジの一角だけが、映画のワンシーンにタイムスリップします。と、同時に遠くを見つめながら、宮城県の仲間のことを思っているのでしょうか・・・
「こんなことで負けないよ! オレの仲間は・・・」
※徳間書店「アサヒ芸能」“38年の真実 仁義なき戦い”第4回 宍戸錠 5月24日(火)発売
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