第25回 『ろくでなし稼業』、初主演
「ジョーさん、今日は機嫌がいいね」
私の隣にお座りになっている知的なヒッチコックのような老人。
1959年、『ギターを持った渡り鳥』から、渡り鳥シリーズをお撮りになった斉藤武市監督です。そして、そのシリーズになくてはならない、主演の小林旭さん。彼の敵役として、宍戸錠はたちまち、人気者になりました。そして、日活社員3000人の声でダイヤモンドライン、石原裕次郎さん、小林旭さん、赤木圭一郎さん、和田浩治さんに、一人の男が加わりました。宍戸錠はニューダイヤモンドラインの一員となったのです。
そう、宍戸錠にチャンスが訪れました。
父はいろいろと考えたそうです。プロデューサーを始め、関係者に「『キーラーゴ』をやりたい」と・・・『ジャンヌ・ダーク』マックスウェル・アンダーソンの原作戯曲、ジョン・ヒューストン監督作品の『キーラーゴ』(1948年、米国)です。主演のハンフリー・ボガート、エドワード・G・ロビンソンと豪華出演者。バート・ランカスターのようなアクションがやりたかったとか・・・売れなかった頃、母と西部劇映画やアクション映画をよく観に行き、研究に研究を重ねた成果を、いよいよ発揮できるときが、やってきたのです。
そして、ついに『ろくでなし稼業』(1961年)で、初主演を。
撮影中に死にかけたぐらい、ハードな撮影でしたが、やっとの思いで完成しました。
「自分の姿が写し出された、6メートルの巨大な看板が、映画館の入口に立てられた時は、まさにあっぱれだった」と、父は言います。
そして、この作品は五社でトップになりました。
先日、父の初主演をお撮りになった斉藤武市監督を偲ぶ会のお知らせのお手紙が届きました。
父にその手紙を渡すと、「本当は活劇より重厚な作品が撮りたかったんだよな」と、ポツリと父が言いました。
あのとき、「ゆりの会」で、私の隣にお座りになった監督は重厚な年月の香りがしました。
私は監督を思い出しながら、グラスにブランデー注ぎました。映画の香りがしました。
父にもグラスを渡すと、ゆっくりと父はグラスからブランデーを口に運びました。
映画アルバム 宍戸錠全作品集(ハンドブック社)より
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