第18回 西河克己監督を偲ぶ会
人は人生の終わりの一日をどういう会にしたいのか・・・
自分の一生をどう表現するのか、お世話になった方々に何を伝え残したいのか。
自分の死が目の前に近づいてきた時に、冷静にそのことを考えられるのか。
私は自身のがんの告知を受けた時、母に「もしものときは、ほしいという方には分骨し、後はハワイの海に散骨してほしい・・・お別れの会はどこそこで、お花は、音楽は・・・」と言ったものの死の覚悟は出来ておらず、手術当日はこの手術に”絶対に勝つ”ということしか考えられませんでした。
昨年の春、第一回監督作品『伊豆の艶歌師』(1952年、松竹)他2本をお撮りになった後、昭和29年日活製作再開と同時に監督契約を日活と結んだ西河克己監督が永眠されました。そして、”偲ぶ会”をお嬢様が開き、西河監督の作品に出演された方々や、松竹、日活関係者が集まりました。子供の頃NHK「お笑いオンステージ」の”減点パパ”という番組に父と出演した際に、ゲストで歌われた、私の大好きな山口百恵さんの旦那様、三浦友和さんも出席されておりましたが、お二人も『伊豆の踊り子』(1974年)、『潮騒』(1975年)ほか、多くの西河監督の作品に出演されています。父も主演の『気まぐれ渡世』(1962年)ほか、何本か出演しています。『一杯のかけそば』(1992年)まで、数々の作品を演出された監督は自分の最後の日の演出も構想され、その作品のキャスト(出席者)、現場(会場)、音楽まで決め、お嬢様に残されたそうです。お嬢様は一般の方ですが、監督の作品を指示通りに撮りきりました。(会を進行されました。)まるで、お嬢様の中に監督が下りて来たかのように・・・
石原裕次郎さんのプロデューサーの水の江ターキーさんの様に生前葬をなさった方。
父は以前の顔とオサラバする際、告別式を行いました。(宍戸錠オフィシャルウェブサイト「Dirty Joker」の中で)
その後、最後のお別れの会の話はしていません。やはり、俳優は誰かに演出していただいた作品の中で演じるのでしょうか・・・
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