第16回 “来年あたりオールド・ジョーが飲み頃では・・・”
2001年、「ゴム風船のようにふくらんだ顔でひたすら突っ走ってきたが、普通の顔した老人になりたくなった。本音を言えば、シシドの顔はもう飽きた。ふくらんだ顔をしぼませて。古顔(オールド・ジョー)になりたいンだ・・・。」(『シシド 小説・日活撮影所』(新潮社)より)と、父は頬の異物(そいつ)とおさらばしました。
そう簡単に、一夜にして日活のシシドが変わるはずはないのですが、それから、徐々に父はオールド・ジョーになって行きました。そして、現在進行形であります。
世に言う、後期高齢者になってから、父に少しずつ変化が見えてきました。
今までは、ガンマン、我ままマンでゴーイング・マイ・ウェイ。常に自分中心でなくてはなりませんでした。そして、たとえそれが妻でも、子供でも、常に自分が一番で譲るということは一切なく、伝えていく、育てていくということもない頑固なシシドジョウでした。そのため、周りにいる者は、何時、危険物が落下するかと、上を見ながらその物に潰されないよう気が気ではありませんでした。
しかし、本を出版した頃から本人は自覚していたのでしょうか、わかりませんが、”伝えていきたい”という気持ちに少しずつ変化してきたように思います。
2009年、母が癌であると告知を受けた頃、何故か若い人材を育てたいと宍戸錠事務所を設立しました。そして、私はそのサポートをすることを決め、早一年が経ちました。
私の旦那様である、昔、子役をやっていて、封印していた映画俳優になる夢に、私と縁があったことをきっかけに再度挑戦しようと決めた太田剣、父とは孫とおじいちゃんという年齢差がありますが宍戸錠という俳優に興味を持ち、父の古い作品を観ているうちに俳優を志願したBUJIN、フランス人とのハーフの現役大学生の野口万葉は、無国籍俳優・宍戸錠に惚れ込んだと言います。かつて、日活で裏方をしていたが、宍戸錠と出会い、第二の人生をかけてみようと、70歳を過ぎて俳優になると決意した高見守。そして、長年、裏方でマネージメントをしてきた私も癌という病を経験し、人々に伝えていきたいとエッセイストとして活動を始めました。そんなメンバーの宍戸錠事務所を自らパンフレットなどを作り、宍戸錠は皆を育てています。そして、今年は、多くの方たちに映画のこと、撮影所のこと、古き良き時代のことを伝えていきたいと、新年からガンの代わりに万年筆を握り、今、父は原稿用紙に立ち向かっています。ガンマン、我がままマンな父も漸く人に伝えたいという気になったのでしょう。
琥珀色に輝くお酒のように、オールド・ジョーは熟してきました。
来年あたり、オールド・ジョーは飲みどきになりそうです・・・
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