第15回 理想の夫婦は俳優・宍戸錠と執筆家・宍戸游子
俳優・”宍戸錠”、宍戸錠家の軸である執筆家・宍戸游子が今年、他界しました。
これは父にとっても、私にとっても、今まで築いてきたものが削除されてしまったようなものです。
思えば父は彼女に苦労ばかりかけてきたのではないでしょうか・・・そして、私もそうです。
今年の始め、母は再入院しました。仕事の合間を縫って、父と夫と私はお見舞いに行きました。その中でのある一日、三人でデパートの地下の食品売り場で、1時間ぐらいかけて飾りやら、食材を何周も回って、ときには手分けして混んでいるデパ地下を歩き回り、ひな祭りの一式を揃え、病院へ向いました。しかし、病院に着いた頃には昼食の時間は既に終わっていて、結局、母の前で三人で買ってきたひな祭りのごちそうを食べることになってしまいました。
食の細くなった父がひな祭りのちらし寿司を半分残し、「お腹が空いたら後でこれを食べろ」と、病室の小さな冷蔵庫に入れようとした時、「ちょっとかして・・」と、昼食を済ませてお腹いっぱいのはずの母が父の食べ残しを食べました。
元気だった頃、「JI(父)の食べ残しだから気持ち悪いからサダム(父の愛犬)にやっちゃおう!」
そう言っていた母が、ゆっくりと父の食べ残したちらし寿司を口に運びます。
涙が出そうになった私は、「おひな様の歌でも歌おうか・・・」と。
それから幾分の間、父はおひな様の思い出話をガラにもなくしました。そして、二組の夫婦がひとつ病室の中で楽しく過ごせたことは、私達夫婦にとって理想の夫婦を見ることが出来た一日となりました。同時に私にとって、今までで一番すてきなひな祭りの思い出です。
さて、あっという間の一年でした。父にとっても私にとっても、とても辛い一年でした。
軸を失った私達は、途方に暮れながらも何とか支え合ってきました。でも、いつまでも悲しみの中に閉じこもってはいられません。
「ママ、私が責任を持って、ママの所にパパが行くまで俳優として活動させますね」
結婚って素敵なことです。いろいろなことがあったけど、最後まで父と母は結婚生活を全うしました。私達も見習います。
父のお財布の中にはいつも母の写真が入っています。
最後に撮った父と母が楽しそうにしている写真が、私のエッセイを書いているノートPCを開く度に現れます。
宍戸錠 宍戸游子 結婚式 1962年
太田剣 しえ 結婚式 2004年
読者の皆様、私のエッセイ、宍戸錠の話にお付き合い下さりありがとうございました。
皆様にとって、来年は良い年になりますように・・・
好奇好齢者俳優・宍戸錠はますます、活躍するつもりでおります。
来年も「エッセイスト・しえの好奇好齢者俳優・宍戸錠レポート」を宜しくお願い致します。
「三つ数えて待ってろよ。来年もオレは好奇好齢者俳優としてやってやるぜ!!」
次回更新は1月17日です。
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