第7回 [ジョーの子守歌♪]・・・南田洋子さんは優しい人でした。
事故で奥様を失くされたスタッフの方と、仕事の帰りにインドレストランに行きました。
食事をしながら、2杯目のビールを飲んでいた父は、「おーい、オレの明日の書類は何処だっけ?」
「『おーい! 聞こえてるのか?』と、ついつい言ってしまうんだよな」と、亡き母に呼びかけてしまう話をしだしました。
「わかります。僕もそうです」
ついつい、同じ境遇の方がいたからなのか、雨脚が強いからなのか・・・
「男の人より先に逝ったら、男の人は本当に一人で生きていけないから・・・」と、生前、母と散歩をしながらよく、そんな話をしていました。
「お酒、飲むし、JI(母と私は父のことをジイと呼んでいました)の方がヤバイわね」と母。
「『憎まれっ子世に憚る!』だから、意外とJIの方が長生きするかも?!」と私。
そんな、やり取りを我が家以外でも、よく耳にしました。しかし、現実は、強い彼女達は、自由奔放な男達をおいて、天国へ先に逝ってしまいました。
今まで、彼女達に苦労をかけたバツでしょうか。
先日、テレビをふと、つけたら「昨年の今日、10月21日にお亡くなりになられました」と、生前の闘病中の南田洋子さんが出ておられました。
南田洋子さんは、1955年に大映から日活に移籍され、「太陽の季節」で、長門裕之さんと共演なされたのを期に、1961年からおしどり夫婦としてやってこられました。
南田さんが認知症になられてから、ずっと、サポートなされてきた長門裕之さん。
しかし、惜しくも、天国に逝ってしまった南田洋子さん。
当時、既に大スターであった南田洋子さんに「よく、お肉をご馳走になった」「皆に気を配ってくれるやさしい人だった」と父は話します。
そんな素敵な南田洋子さんと共演した、宍戸錠主演「赤い荒野」より、[ジョーの子守歌]を先週、父は歌いました。≪10月31日「サンデー・マティネ・コンサート「語りす人(かたりすと) 」、本連載第6回(10/25)参照≫
「ヤンチャな男の子(おじいさん)たちを置き去りにしないよう、皆様、奥様を大切にしましょう」
若輩者ですが、父の歌を聞いて、そう、私は思いました。
「赤い荒野」(1961年/日活/監督:野口博志)
コメント
『赤い荒野』が撮影された農場が、実家です。
撮影当時母のお腹のなかでしたが、20年くらい前地元小学校新築記念の上映会で観ました。
DVD化を知ってすぐ購入し、子どもにも観せました。
日本でウエスタン? でも、おもしろくてかっこいい映画だと、思います。
お~れの行く手を♪ という歌もいい感じ。
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