名前がでてこない
昔あった日本人のよさが失われつつあるような気がします。互恵の念。ボクは足が悪く、めまいもひどいので、電車に乗るのが一苦労。ホームとの間隔がとてつもなく広く感じるのです。歩いては乗り込めない。ドアサイドの手すりを使って強引に乗り込むのです。近くにいる人に「すいません、すいません」といいながら。
日本の方は障害者にみな無関心ですね。座る場所がないときも、いすの上に荷物を置いたまま。ちょっとしたスペースを作ってくれればいいのに。その点、外国人の方はサッと動いてくれる。場合によっては誘導もしてくれる。親や学校の教育の違いかもね。日本人でも中高年の方は違いますね。ボクがよろよろしているとサッと腕を出してくれたりする、自然に。ありがたいです。
そうそう、ボクは名前が覚えられません。顔はなんとかなんですが、名前はダメ。地名をあてはめたり、いろいろ工夫はするんです。たとえば江ノ電の終点の藤沢さん、とか。でもダメですね。頭で覚える記憶は「陳述的記憶」といい、記憶内容が陳述(記述)できるようなものだとか。名前って言葉としては短いですよね。10秒以内の短い記憶はすぐに忘れる。そこで繰り返して20秒以上にすると頭に叩き込まれ、定着するそうですけど、それをしても覚えられない。
で、どうしたかというと覚えるのを諦めたのです。覚えている人はそのままにして、覚えられない人は無理しない。名前が出てこなくても、そこそこ社会生活はできます。「あの人」でいいのです。おかしいのは、年齢や住居はでてくるのに名前がでないこと。でも完璧に覚えられないわけではない。ときどきポッとでてくる。記憶回路ではなく、読み出し回路のトラブルのようです。問題は、電話をかけて相手の名前がでてこないときです。こちらから電話しておいて「あなたのお名前は?」とは聞けませんものね。
次回は2011年9月20日(火)、更新予定です。
懐かしの黒電話600型です。子どもの頃は電話が怖かったです。今の子にはわからないだろうな
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