雇用を考える(1) 加速する貧困化
■“新たな貧困”の実態
「100年に1度の経済危機」(?)といわれ、また、経済のグローバル化ということもあってか、2010(平成22)年11月現在、有効求人倍率は0.57人という状況にあります。これに伴い、完全失業率は依然として5%台と高止まりしており、シニア世代や若者の失業者は318万人、このうち、1年以上失業している人は128万人と半数近くに及んでいます。
2008(平成20)年12月、ボランティア団体によって東京都内に設けられた「年越し派遣村」はその後、2009(平成21)年には公設派遣村として国や東京都が開設し、派遣切りにあった失業者やホームレス(路上生活者)に宿泊場所や食事が提供されました。しかし、昨年末は電話相談や有志の活動はあったものの、公的に主だった対応はされず、例年にも増して厳しい年の瀬となりました。
こうした派遣切りに代表される“新たな貧困”は、2008(平成20)年9月の米国・証券会社大手のリーマン・ブラザーズの倒産に端を発した世界的な金融危機(?)や経済のグローバル化に伴う国内企業の中国や韓国、インドなど新興国への工場移転による従業員の解雇や雇い止めが直接の原因とされています。もっとも、このような“新たな貧困”は、小泉政権下に行われた労働者派遣法の“改正”による、いわゆる非正規雇用労働者の大量発生によって拍車がかかった、と指摘する意見もあります。
ともあれ、この影響でにわかに生活苦を強いられているのは、子どもの教育費や住宅ローンの負担が大きく、かつ定年(停年)退職後の年金や老後、介護に不安を抱いているシニア世代です。なかには失業を機に離婚し、すべてを失ってホームレス(路上生活者)になったり、借金の返済のため、消費者金融に手を出して多重債務を抱え、自殺に追い込まれたりするなど、社会病理ともいえる現象まで招いています。
また、明日の日本を担うべき大学の新卒者の内定率も同年10月現在、57.6%と過去最低となり、史上最悪の“就職超氷河期”のまま新年を迎えました。それだけに、関係者のみなさんは寒風吹きすさぶ毎日をどのように過ごしているかと思うと、「人にやさしい政治」がいつ訪れるのか、待ちわびているのは筆者だけではないでしょう。
そこで、今回は、政権交代後の今年の政局の変化にも大きく関わるであろう、雇用について考えてみたいと思います。
■「働く権利」は労働者の保護のため
周知のように、日本国憲法には国民に対するいくつかの権利が定められていますが、その一つに「働く権利」があります。
具体的には、第27条第1項で「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」と定めています。いうまでもなく、勤労の権利、すなわち、「働く権利」は憲法によって国が国民に保障しているものです。すなわち、働く意思と能力がある国民が働く機会を持つことができないとき、国はその国民に働く機会を斡旋(あっせん)する義務を負っている、というわけです。
さらに、勤務先の給料や時間、職場の環境については、同条第2項で「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」としています。このため、働く意思と能力のある国民が働く機会を持つことができない場合、職業安定法や雇用対策法にもとづき、公共職業安定所(ハローワーク)で就職の斡旋をしたり、再就職するまで雇用保険(失業給付)でカバーしています。
このような労働者の保護は、18世紀、世界で初めてイギリスで起こった産業革命によって資本主義社会がお目見えし、資本家が労働者の賃金の一部を搾取することが問題となったため、このような搾取を認めず、労働者を保護するための法律が整備されるようになったことが始まりです。
日本で戦後、現在の憲法や労働基準法、職業安定法、雇用対策法などができたのも、このような歴史的な経緯や「資本の論理」を踏まえてのことです。
国民は等しく「働く権利」が保障されているはずだが・・(JR岡山駅にて)
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