離島を考える(4)~外交・福祉からみた離島の課題
■東京だけが「ニッポン」か?
ところが、中央省庁の官僚や国会議員、メディアは、ややもすれば、東京発、もっと厳密にいえば、霞が関、永田町、そして、天下りの公益(?)法人の温床であり、お膝元でもある虎ノ門界隈(かいわい)の関係者による政治的、経済的な問題の解決のための論議に終始しがちです。
その結果、地方、とりわけ、離島など、高齢化や過疎化、地域経済が衰退している中山間地域のインフラの整備や住民生活の改善などの問題は「蚊帳の外」に置き去りの傾向にあるようです。
もっとも、沖縄県など一部の地元メディアは、地域の現状を鋭く分析し、詳細な取材をもとにさまざまな問題を発信しています。
しかし、東京に本社を置く大手メディアには伝わらず(無視、あるいは軽視されてか)、本州の読者・国民にはその厳しい現状が十分伝えられず、無知、あるいは不知であることにも一因があるように思われます。
■「新しい公共」の真価が問われている
また、東京に住む私たちも、このような中央省庁の官僚や国会議員、メディアによる論議や情報だけが、あたかもオールジャパンのもののように錯覚している気がしてならないのです。
離島など、高齢化や過疎化、地域経済が衰退している中山間地域のインフラの整備や住民生活の改善などに理解をし、限られた財やサービスの公平分配のために協力し、協働することの重要性を、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件は、いみじくも教訓の一つとして私たちに示しているのではないでしょうか。
とりわけ、離島は、戦前生まれの世代なら戦争の悲劇の舞台、また、戦後生まれの世代なら、その傷跡よりも、前述した外交問題に尽きるのでしょうか。それとも、「対岸の火災」と割り切って、あるいは「我、関せず」としてリゾートライフに満喫するだけでしょうか。
答えは「ノー」でしょう。
離島は、単に政治的、経済的な問題を解決するだけでなく、そこを終の棲家とする住民たちの生命と財産を保障したインフラも整備し、“離島苦”を解消しなければなりません。
そこで、ここは国民総意で“離島苦”を理解し、短期、中長期的なスパンでその問題の解決のため、全国民の英知を結集すべきでしょう。このような離島の問題こそ真っ先に解決すべきで、それがまた、新政権のもと、国民が一致結束して果たすべき「新しい公共」の試金石ではないか、と思われます。
東京だけが繁栄していればいいのか(新宿にて)
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